1/14(土)ised@glocomで発表します。

isedが始まって1年有余、ようやくぼくの発表の番が回ってきました。

オブザーバ参加されたい人は、下記リンクの「参加申込みについて」からお申し込みください。

http://ised.glocom.jp/ised/00010114

なめらかな社会とその敵

 この世の中には二つのタイプの人がいる。世界に根拠があると信じる人と、世界は無根拠だと信じる人である。後者のタイプはさらに二つのタイプに分かれる。過去や現在の世界の無根拠性を暴くことに喜びを覚える人と、無根拠であるが故に新しい秩序を生み出そうとする人である。後者のタイプはさらに二つのタイプに分かれる。無根拠なのだから新しい秩序はなんでもかまわないという人と、無根拠性それ自体を新しい秩序に組み込む人である。

 私的所有は無根拠であるが、生物学的な起源をもつ(起源をもつものはたいがい無根拠だが)。40億年前、膜の内側と外側を分け、細胞が誕生した。5万年前、人類は自己意識をもち自らの言及に成功することによって認知的に自他を区別した。現代社会においては国民国家が国境の内側と外側を分けると共に、人類とその他の生命に対して明確に区別した対応を行っている。

 近代以降、われわれはある種の特殊な思考法をしてきた。それは「われわれ」の定義そのものにかかわるし、敷衍すれば「わたし」の定義そのものにかかわる問題である。

 近代の"夜明け"から300年経ち、人類の一部は、自然との対決において多くの勝利を収め、平均寿命は倍になり、生産性の拡大によって飢餓の苦しみから解放され人口は十倍にもなった。現代社会の困難さは、もはや自然との対決や生産性の拡大では解決されず、コミュニケーションと社会システムに由来しているといってよい。ここに、本研究会が情報社会について議論する現代的な意義が存在する。

 近代的な知のシステムは、あらゆる身体に対して普遍的に了解可能な知を模索したが、大概が閉じたコミュニティの身体の間で成立するものにすぎず、普遍的といえるものは少なかった。身体的な知も含めた知の暴力性は、内部に閉じ続けることによって強化されるが、かといって世界全体に開かれることに耐えられるほどほとんどの人間は強くない。

 市場主義、産業主義、資本主義の三位一体からなる近代経済システムは、経済主体をゲーム空間(ゲーム理論の意味ではなく文字通りの意味で)におけるプレイヤーへと変質させ、働くことはスポーツになった。膨大な物質的連関性のわりに、世界への想像力を急速に奪いつつある。

 政治哲学者のカール・シュミットは、政治とは「敵と味方を区別すること」とみなした。異常事態への極度な内省によって20世紀は残酷な時代となったが、国内においては、常に敵を内包し続けるという保守主義的戦略は成功を収めた。

 これら三つは、近代の膜性に起因する問題である。そこで、知、経済、政治の三つのシステムにおいて、なめらかな社会を実現するための小さな試みを提案したい。情報伝播の仕組みが知のシステムでは重要であり、SNSをベースにしたなめらかなメッセージングが、マスメディア化、たこつぼ化、SPAM化を防ぐのではないかと考えている。一方で身体知の交流は、人間の物理的移動を伴わなければならないが、それらは現在の労働システムにおいては制限されている。オフィスワーカーの労働形態を変化させることがこのことに大きな変化を与えるだろう。経済システムでは、旧来的な財務諸表概念をなめらかにする伝播投資貨幣PICSYが、コミュニケーションのダイナミクスをどのように変容させるかについて、最近行ったワークショップの経験を下敷きにして紹介したい。政治システムにおいては、ここ300年支配的であった社会契約論を見直し、ルソー対ロックの対立軸の中で、ロックにこそ新しい社会契約論の萌芽があることを見出す。契約の物理的自動実行がもたらすために、人工言語自然言語の中間的な言語の発明が必要であることを提案したい。パフォーマティブとコンスタティブが融合したこの言語は、ユビキタス時代において絶大な効果を発揮するに違いない。だが、安全保障や生殖問題のどこまで踏み込めるのかについては、まだ分かっていない。

 なめらかな社会の敵は、敵と味方を区別することそのものにあるため、これらの展開は特殊なやり方を迫られるに違いない。

 以上の提案は、ある意味で究極に個人主義なシステムなため、いわばラストモダンであると言ってもよい。近年盛んに研究されている神経工学のサイボーグ技術の進展は、世界を一気にポストモダンへ駆動する可能性を潜ませている。20世紀後半の計算機科学におけるAI(ArtificialIntelligence)=IA(Intelligence Amplifier)の対決は、社会的な影響という点においてはIAに軍配が上がったが、ロボット対サイボーグも同様の結論に至るかもしれない。