正月に実家に帰って数日過ごした。

実家でまずすることは、いぬ間にたまった大量の雑誌を読むことである。


日経ビジネスは中学時代から読んでいる。ああ、花王マトリックス組織だとタイセイが言っていたのはこの記事かと、ぱらぱらと読む。

ちょうど年越しの瞬間は、文藝春秋田原総一郎永六輔の対談を読んでいた。要するに、奥さんを最近なくして、毎日死のう死のうと思いながら生きているという話だ。二人とも当然ながら江藤淳に共感している。

こういう虚勢を張って生きている人ほど、内面は何かに依存しており、支えを失ったときはもろい。男はあわれだ。あわれすぎる。

その後、去年末から読み始めた漱石の「こころ」を読了。これは自殺とその理由について書かれている。不思議な階層構造をもっていて、読者に自死を迫るようにできている。

巻末に江藤淳が解説を書いているが、漱石を江戸と明治という時代性から読み解くというお得意の評論だが、裏側で常に走り続けているはずのプロセスについては読み取ることができない。

ぼくは、本当に才能があるやつは14歳までに死んでいるという自説をもっているのだが、そういったわけで、こういった駄文を読んで正月を越した。

とにもかくにも、日本の文学者は自殺好きだ。芥川、川端、太宰、三島ときている。自殺の理由を問うことは無意味であるにもかかわらず、問うことへの欲動を抑えることができないということが「こころ」のテーマだが、理由なきものを「問うこと」それ自体がそもそも心が本質的に持っている性質であり、むしろ心の実体であることを解き明かすことがぼくの研究テーマである。