I had an epiphany.

昨日は眠れなくて、ベッドの中でウトウトと考えていたら、すばらしいアイデアがふと浮かんだ。そうか。ソーシャルネットワークの与信のモデル化はこうすればよかったのか。ソーシャルネットワークニューラルネットワークだったんだ。こいつは盲点だった。パーコレーションのような統計力学的な議論ができそうな気がする。うーん。PICSYを思いついたときと同じくらいの衝撃だ。

英語でこういうときは、I had an epiphany. というらしい。神の啓示があったということだ。ちょっと大げさじゃなかろうか。ようやくネットの文法に指先が触れた気がする。

PICSYの時間概念やカンパニー、人事評価と結びつけて、なんとか統一モデルをつくりたいのだが、それにはもう少し時間がかかりそうだ。そんでもってスケーラビリティがあったら言うことはない。

イメージがメタファーになり、メタファーがモデルになる。世界の美しさに感謝。

そういえば、佐藤さんの博士論文のN人チューリングテストのモデルに似ているぞ。佐藤さんが、このモデルでいいたかったことは、チューリングテストは、機械(男)が人間(女)をイミテーションできるかを判定する方法ではなく、そもそも区別がないにもかかわらず判定しているということを主張する方法なのだということ。

そう、われわれが住んでいる世界は、そんな世界なんだ。