ISED白田さんのパワポについて

例によって、ISEDでの白田さんの明日の発表用パワポの感想を、発表前に投稿。

1.電脳界と現実界の分離

電脳界と現実界ユビキタス界という三分法は、第一回設計研でぼくが使った資料とも対応していて、現状認識としての相違は少ない。

ただ、実際に結論が下されているのは、電脳界と現実界の折り合いをどうするかという視点であり、電脳界と現実界が融合して区別ができなくなるユビキタス界に対しては問題点の提起にとどまっているのが残念だ。(ユビキタス界を法が電脳界の暴走を制御するために環境管理型として利用するという視点でのみ積極的に取り入れられているが、やはり主論点は電脳界である)

そういう意味では、電脳界と現実界が比較的分離したままの直近の未来のみを主たる議論範囲として想定しており、新シカゴ学派の立場を支持しつつアーキテクチャを直接法がコントロールすることを肯定する。

レッシグは、法は市場の影響を受けやすいという特徴を踏まえて、法からアーキテクチャへの影響をどちらかというと逆にネガティブに捕らえている。むしろ、コード(アーキテクチャ)から法への規制が必要であるという理由によって、フリーカルチャーを擁護するというところまで踏み込んでいる。しかし、規制緩和の議論のときのように、結局はよい規制と悪い規制があるという話にしか落ちないので、こうした一見相反するように見える意見のよしあしは、具体論でのみ意味をもつのであろう。

2.indivisual(個人)はdivisualか

白田氏のindivisualはdivisualになっていくという指摘は興味深い。しかし、その範囲は電脳界のみなのであって、現実界においてはindivisual(個人)はdividualにならない。これは現実界であるユビキタス界においても変わらないだろう。現実界においてindivisualがdivisualになるためには、いくつかの可能なパスがありうるが、込み入った話になるので省略。

3.新しい社会契約論

新しい社会契約論については、ここを参照してほしい。はっきりいって、白田さんの議論の土俵外なので、白田さんのコンテクストとは関係ない。

ユビキタス界を議論の主戦場とするぼくからすると、コードが法や市場、規範にどういう影響を与えるかに興味がある。これは通常の意味での影響ではなく、OS(白田さんの言葉で言えばハードウェア)の入れ替えに相当する。

正直、東さんとのプレミーティングで自分の回では「新しい社会契約論」について話したいと言ったものの、聞き手や読者の興味から離れすぎるのではないかという心配があった。しかし、白田さんがユビキタス界における法律の完全実行について言及してくれたので、問題なくもっていけそうである。11月の発表のタイトルは「情報社会とホッブズ問題」にしようと思う。(すぐ変わるかもしれないが)

せっかくなので、白田さんにもホッブズ問題についてどう考えているか聞いてみたいものだ。

ちなみに、白田氏は、社会契約説の説明として「平等な市民間の理性的契約すなわち社会契約」と説明している。手元に資料が少ないので心もとないが、たしか、社会契約を人民同士の相互契約としたのはホッブズで、国家と人民の間の相互契約としたのがルソーとロックであった。白田さんはホッブズに準拠しているのかな。この違いは劇的に大きい。ホッブズ的世界では、新しい社会契約論はすぐ近くだからだ。

それから、debian社会契約がなんで社会契約と呼ばれているのか、八田さんに教えてほしいな。

4.コードの読み書き

白田氏の主要な結論である、「現実界と同じ法律を適用するのではなく、現実界において成立していた法(均衡状態)を、電網界においても同様に実現するということを目的とする。」「環境管理型の基本構造に実装することで、電脳界が無目的に暴走することを避ける」というのは、もはや法学者としての枠にとらわれない視点であることを賞賛したい。(しかしそれは、上述したように各論、具体論によって賛否が分かれるべきなのである。パワポにない発表の各論に注目したい)

しかしそれと同時に、法学者はプログラミングという新たなスキルを要請とされるのではないか。コードや仕様書を読み書きできるということが、職業としてのプログラマーのみならず、広く社会一般の人の必要なスキルとなるのはいつの日のことだろうか。(なんか岩谷 宏かアラン・ケイみたいだな)

文字が発明、輸入された当時の社会では、文字を扱うことはごく一部の専門職の仕事であったという。たしかに代筆、代読する人がいれば効率は悪いが用は足りる。しかし、しだいにある一定の知的作業を行う専門家にとって文字の読み書きが必須となり、近代以降は万人に必須のスキルとなった。一文字の違いや、ちょっとした構文の違いが、意味を逆転させることなどよくあるからである。

物語を書くようにコードを書き、物語を読むようにコードを読む。

そういうえば、世の中にはコードを書くためのツールはたくさんあるが、コードを読むための専用ツールは少ない。namazuの高林 哲さんが開発するソース検索エンジンgonzuiはそのさきがけかもしれないが、コードを読むためのツールはまだ未発達の面白いジャンルなのかもしれない。

今日はおとなしくしているので、当然指名とかしないでください。今日は各論勝負ですね。>事務局のみなさん

1.電脳界と現実界の分離

電脳界と現実界ユビキタス界という三分法は、第一回設計研でぼくが使った資料とも対応していて、現状認識としての相違は少ない。

ただ、実際に結論が下されているのは、電脳界と現実界の折り合いをどうするかという視点であり、電脳界と現実界が融合して区別ができなくなるユビキタス界に対しては問題点の提起にとどまっているのが残念だ。(ユビキタス界を法が電脳界の暴走を制御するために環境管理型として利用するという視点でのみ積極的に取り入れられているが、やはり主論点は電脳界である)

そういう意味では、電脳界と現実界が比較的分離したままの直近の未来のみを主たる議論範囲として想定しており、新シカゴ学派の立場を支持しつつアーキテクチャを直接法がコントロールすることを肯定する。

レッシグは、法は市場の影響を受けやすいという特徴を踏まえて、法からアーキテクチャへの影響をどちらかというと逆にネガティブに捕らえている。むしろ、コード(アーキテクチャ)から法への規制が必要であるという理由によって、フリーカルチャーを擁護するというところまで踏み込んでいる。しかし、規制緩和の議論のときのように、結局はよい規制と悪い規制があるという話にしか落ちないので、こうした一見相反するように見える意見のよしあしは、具体論でのみ意味をもつのであろう。

2.indivisual(個人)はdivisualか

白田氏のindivisualはdivisualになっていくという指摘は興味深い。しかし、その範囲は電脳界のみなのであって、現実界においてはindivisual(個人)はdividualにならない。これは現実界であるユビキタス界においても変わらないだろう。現実界においてindivisualがdivisualになるためには、いくつかの可能なパスがありうるが、込み入った話になるので省略。

3.新しい社会契約論

新しい社会契約論については、ここを参照してほしい。はっきりいって、白田さんの議論の土俵外なので、白田さんのコンテクストとは関係ない。

ユビキタス界を議論の主戦場とするぼくからすると、コードが法や市場、規範にどういう影響を与えるかに興味がある。これは通常の意味での影響ではなく、OS(白田さんの言葉で言えばハードウェア)の入れ替えに相当する。

正直、東さんとのプレミーティングで自分の回では「新しい社会契約論」について話したいと言ったものの、聞き手や読者の興味から離れすぎるのではないかという心配があった。しかし、白田さんがユビキタス界における法律の完全実行について言及してくれたので、問題なくもっていけそうである。11月の発表のタイトルは「情報社会とホッブズ問題」にしようと思う。(すぐ変わるかもしれないが)

せっかくなので、白田さんにもホッブズ問題についてどう考えているか聞いてみたいものだ。

ちなみに、白田氏は、社会契約説の説明として「平等な市民間の理性的契約すなわち社会契約」と説明している。手元に資料が少ないので心もとないが、たしか、社会契約を人民同士の相互契約としたのはホッブズで、国家と人民の間の相互契約としたのがルソーとロックであった。白田さんはホッブズに準拠しているのかな。この違いは劇的に大きい。ホッブズ的世界では、新しい社会契約論はすぐ近くだからだ。

それから、debian社会契約がなんで社会契約と呼ばれているのか、八田さんに教えてほしいな。

4.コードの読み書き

白田氏の主要な結論である、「現実界と同じ法律を適用するのではなく、現実界において成立していた法(均衡状態)を、電網界においても同様に実現するということを目的とする。」「環境管理型の基本構造に実装することで、電脳界が無目的に暴走することを避ける」というのは、もはや法学者としての枠にとらわれない視点であることを賞賛したい。(しかしそれは、上述したように各論、具体論によって賛否が分かれるべきなのである。パワポにない発表の各論に注目したい)

しかしそれと同時に、法学者はプログラミングという新たなスキルを要請とされるのではないか。コードや仕様書を読み書きできるということが、職業としてのプログラマーのみならず、広く社会一般の人の必要なスキルとなるのはいつの日のことだろうか。(なんか岩谷 宏かアラン・ケイみたいだな)

文字が発明、輸入された当時の社会では、文字を扱うことはごく一部の専門職の仕事であったという。たしかに代筆、代読する人がいれば効率は悪いが用は足りる。しかし、しだいにある一定の知的作業を行う専門家にとって文字の読み書きが必須となり、近代以降は万人に必須のスキルとなった。一文字の違いや、ちょっとした構文の違いが、意味を逆転させることなどよくあるからである。

物語を書くようにコードを書き、物語を読むようにコードを読む。

そういうえば、世の中にはコードを書くためのツールはたくさんあるが、コードを読むための専用ツールは少ない。namazuの高林 哲さんが開発するソース検索エンジンgonzuiはそのさきがけかもしれないが、コードを読むためのツールはまだ未発達の面白いジャンルなのかもしれない。

今日はおとなしくしているので、当然指名とかしないでください。今日は各論勝負ですね。>事務局のみなさん