会社は誰のものか 2.分配率とPICSY

前回のエントリで、世の中には資本分配率と労働分配率というのがあるというのがお分かりいただけたと思います。

 

会社をとりまくアクターは、お金を入れてくれる投資家(や銀行)、顧客と、モノや労働を入れてくれる従業員と仕入先があります。付加価値のうち、資本分配率は投資家に割り当てられ、労働分配率は従業員に割り当てられます。仕入先は仕入先で同じことが再帰的に行われていきます。

 

このミクロな関係をとりまくダイナミクスを観察したときに、労働分配率と資本分配率を分離しなければいけない必然性がどこにもないことに、気づくでしょう。伝播投資貨幣PICSYは、労働も投資と考えよ、仕入れも投資されたものと考えよ、という公準から素直に導かれます。

 

すなわち、万物が投資である世界です。万物が投資であることによって、いままでのお金がもっていた特権性を剥奪するのです。

 

 

これについては、「NAM生成」@太田出版,2001に収録されている「ネットコミュニティ通貨の玉手箱」で以下のように書きました。(文中の相対値貨幣は伝播投資貨幣PICSYの意味です)

 

相対値貨幣と似たようなことは、現在の貨幣システムでも可能である。要するに、従業員の労働を出資にして、仕入先からは現物出資をしてもらえばいい。そして商品やサービスを販売するときでさえ出資という形にするのである[93]。きちんと検証したわけではないが、相対値貨幣とほとんど同質であるはずだ。すべての企業がこのような行動をとるか、あるいは相対値貨幣が導入された社会では、全体が巨大な消費-生産協同組合[94]となる。

 

このことを理解するためには「利潤とは何か」「組織の境界とは何か」という点について、明確な整理をしておく必要がある。

 

まず、世界中の人が自営業者である場合を考えよう。このとき、組織の境界は皮膚境界であって利潤は存在しない。1万円でモノを仕入れて1万5千円で販売した人[95]にとって、5千円は利潤のように見えるかもしれない。しかし、5千円分はその自営業者の商品への付加価値なのであり、実情は「単なる横流し」だったとしても、1万5千円で買った人は正当に価値を評価したものと見なそう[96]。ここで、「単なる横流し」をずるいと見なした瞬間に、労働価値説の世界にはいってしまい[97]、自営業者の洞察眼や工夫するインセンティブを奪ってしまう。価格はあくまで「どれだけ感謝されたか」を表す指標なのである。それでも利潤が存在しないという言葉にリアリティがもてない人は、全員が自営業者の社会では、利潤と付加価値が区別できないと理解しておけば問題はない。

 

さて、60億人の自営業者が生活する世界において、ある一人の自営業者がほかの一人を雇用すると事情が異なってくる。そこではじめて組織が形成され、利潤が発生する[98]-もしくは利潤と付加価値の区別が存在する。では別の場合を考えてみよう。60億人のうちの2人が、共同でグループの名のもとにビジネスをはじめた。グループへ投資した労働や生産財に応じて売上を配分するとしよう。このときに組織は形成されているが、利潤は発生しない-もしくは利潤と付加価値の区別は存在しない。

 

企業が利潤をあげることができるのは、企業境界を明確に設定することによって、できるだけ利潤を最大化するような行為を境界の外側に対してとるからだ。すなわち、仕入先から資材をなるべく安く調達し、労働賃金をなるべく安く抑え、売上を出来るだけ多くするように価格を設定する。正確には、投資に対する期間利潤率を最大にするように行動する[99]。すると、系列その他の方法をとって、仕入先からよい資材をできるだけ安く調達しようとするだろう。現実に製品がよいのは部品がよいからかもしれないが、部品メーカーに必ずしも利益が返ってくるとは限らない。ところがここで、部品メーカーが現物出資として資材を提供すれば話は別だ[100]。利益は出資額に応じて返ってくるから、間接的な関係にも関わらずその企業の利益は部品メーカーにも還元される。同じことを部品メーカーの部品メーカーがやっていれば、それは繰り返されるだろう。部品メーカーに限らず、従業員の労働も同様に出資だと考えればいい。

 

ただし、この時点では企業境界はあくまでも明確だ。これを変えるためには、企業が誰かに販売することも出資にしてしまえばよい。こうして、すべてが出資であるような経済圏が構築できないかという妄想にいきつく。つまり、人間が証券化されていて、貨幣のかわりに株券を新規発行(株券そのものの取引=人身売買はしない)する社会だ。

 

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図 3 企業関係のミクロモデルの比較:左が従来の経済システムで、右が相対値貨幣の場合。矢印は財の移動を表している。販売-購入には反対向きに価格の矢印がはいるが煩雑なので割愛。右の図では、反対向きに評価の矢印がはいる。右の相対値貨幣の場合だと、投資家は基本的に必要ないはずだが、投資家が誰かからモノを買い(投資され)、それを企業に投資することはできる。貨幣での投資は行われない。

 

 

企業とは財務諸表の単位で最適化を行う集団であるといえます。貨幣に伝播性の性質を付加することによって、部分最適を目指すという企業の習性を変化させ、組織の仮想化を促すのです。

 

会社は誰のものか。

 

もはや労働分配率と資本分配率を分離しないため、PICSYでは、投資家、従業員、仕入先の3者の割合が自動的に決定されます。この性質は仕入先でさらに再帰的に展開されるため、ある企業の分配面のownershipが世界中に遍在することになるのです。

 

いやはや、なめらかです。