車社会と情報社会

今日は自動車免許の書き換えにいってきた。10年ほど前に免許合宿の講習中に、車社会という言葉がでたときの違和感と発見は今でも忘れない。というのは、車というのが生活の中に遍在し当たり前になりすぎていて、あえて車社会といわれると確かにそのように見ることができる、というのが発見だったからだ。

ISED サイバー空間と実社会を分離してはならない

情報社会という言葉が違和感をもって迎えられるようにならなくてはならない。われわれの社会とは別に、情報社会という社会が別途存在するというような言説を排除しなければ、本来の意味を見失ってしまうであろう。

情報社会学会が設立されるようだが、それだけが気がかりである。情報社会を論じる研究者の中には、ネットでおきている奇妙で珍奇な現象を取り上げ、それを情報社会として論じる者が後を絶たないが、それらは決して50年後に残る言説ではありえないだろう。情報社会という分野を、社会学者のルーチンワークでできるメシの種にしてはならない。