「アラン・ケイ」を読む

アラン・ケイの論文集「アラン・ケイ」を9年ぶりに読みました。ぼくが最近よく言っていたことが書かれていて、新鮮な驚きを持って読むことができました。脳のどこかに残っていたんですね。

次回ISED設計研の内容と絡むので、話のつぼを紹介しておきます。

収録されている論文は以下の4つです。

・パーソナル・ダイナミック・メディア

・マイクロエレクトロニクスとパーソナルコンピュータ

・コンピュータ・ソフトウェア

・教育技術における学習と教育の対立

アラン・ケイはパーソナルコンピュータの父と呼ばれますが、彼がその概念を発表した論文のタイトルは、パーソナル・ダイナミック・メディアです。いったいこれはどういうことなのでしょうか。彼は、パーソナルコンピュータを「個人がメディアを作るメディア」と位置づけていました。「メディアを作るメディア」をメタ・メディアとも表現しています。

東さんや倫理研のテーマはメタ・メッセージであるのに対して、ぼくや設計研のテーマはメタ・メディアであるという比較が成り立ちます。メタ・メッセージは、ここに書かれているように、「彼は「彼は「彼は……と言った」と言った」と言った」というようなメッセージを含むメッセージのことです。メタ・メッセージは印刷技術のメタファーの延長です。しかし、メタ・メディアはコンピュータ技術以降にしか存在しない概念であり、その起源は、1936年のTuring "On the Computable Numbers"であることは以前書きました。メタ・メッセージは水平的であり、メタ・メディアは垂直的だと言うこともできるでしょう。

マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」を半年間他のことを何もしないで読み込んだアラン・ケイは、コンピュータを"コンピュータ"と呼ぶことに違和感を覚え、"メディア"と呼ぶようになったのです。"コンピュータ"と同様に、"機械"、"道具"という言葉もアラン・ケイはコンピュータにふさわしくないといいます。

では、パーソナルコンピュータが「メディアをつくるメディア」すなわちメタメディアだとして、それが印刷技術のように普及するということはどういうことなのでしょうか。そのことを議論するために、アラン・ケイは"コンピュータ・リテラシー"という言葉を作り、識字率を100%に上げるがごとく、世界中の人がこのリテラシーを持つべきだと宣言しました。

コンピュータリテラシーとは、すなわち、コンピュータを使いこなす技術のことですが、ここでいう"使いこなす"というのはどういうことなのでしょうか。それは決して、コンピュータ上のメディアでメッセージやコンテンツを作ることではありません。それでは、「メディアを作るメディア」としての特徴を活かしていないからです。

つまり、アラン・ケイの定義によれば、2chはてなmixiでメッセージを送信しあったり、WordやExcelで文書を書いたり、IllustratorPhotoshopでかっこいいコンテンツを作成しても、コンピュータ・リテラシーを持っていないことになります。

では、プログラムを書く技術があればいいのでしょうか。アラン・ケイは「プログラムは勉強さえすれば誰でも書ける」といいます。つまり、世の中にいるほとんどの職業プログラマーはコンピュータ・リテラシーを持っていないということになります。

では、誰がコンピュータ・リテラシーを持っているのでしょうか。アラン・ケイを代弁すれば、それは、はてなの開発者の近藤さんgreeの開発者の田中さんのような人ということになるでしょう。近藤さんは、はてなを作る前にプログラムの素養はほとんどなく、プロのカメラマンでした。田中さんは理系でさえなく、大学時代は法学部政治学科でした。彼らはそれにも関わらず、メタ・メディアを使ってメディアを作ったのです。

しかし、彼らのような人たちは強い意志と優れた能力を持った特別な人たちだと人は言うでしょう。確かに10万人を超えるメディアを全員がつくるのはほとんど矛盾です。そうではなく、誰でもが自分のためにメディアを作れるようにするためにはどうすればよいか、アラン・ケイは考えました。そして、はじめての完全に動的なオブジェクト指向言語smalltalkはそのようにして発明されたのです。

アラン・ケイは、はじめから"誰でも"を子供たちにまで広げて考えていました。子供たちでも立派に文章は書けます。ですから、子供たちでも立派にメディアを作れるはずだと考えたのです。そしてアラン・ケイは、コンピュータを教育の道具として使うのではなく、コンピュータを道具として教えるのでもなく、「メディアを作る」教育をすることが極めて重要だという知見に基づいて、優れた教育論を展開したのです。

アラン・ケイ」は極めて一貫した思想の持ち主であり、以上のことは4つの論文に散在した内容ですが、一貫した流れの中で理解しなければならないのです。「パーソナルコンピュータ」「オブジェクト指向」「コンピュータ・リテラシー」「教育論」「メディア論」は、彼の別々の仕事ではなく、一つの仕事なのです。

すなわち、「『すべて』の人々がメッセージだけでなく『メディアを作る』ことができるようになるためにはどうすればいいか」、ただその一点に集約されます。アラン・ケイがすばらしいのは、このくるったテーゼを実現するために、人生をかけ、そして未だ実現していないことを理解して走り続けていることです。