不遜さ

当研究室のM1の佐藤くんは不遜なことで有名である。すぐ池上さんとか茂木さんに、「お前ら、本質的な問題を分かっているのか」的な質問をすぐする。昨日のセミナーもまた不遜なセミナーで、「意識と科学」というタイトルで、「志向性(あるいは志向的クオリア)自体が自己言及的でありうること」を、セミナー参加者のみんなが問題だと思っているのかを問う、という内容だった。

ちょうど8年前の1997年7月8日に、ぼくは池上さんに研究室に入れてくださいという内容のメールを出していた。このメールがまた不遜でたまらない。

その中でも最も問題意識の高いものを無理矢理圧縮すると「自我と自己言及」になると思います。私自身は、多くの論者の複雑系の定義は(今までの研究者もやっていたという意味で)パラダイムシフトといいかねると思っています。自分の当座の定義は「生命、意志、自我をア・プリオリに認め、非目的論または目的論的に構成する」となります。

なんか、何もかわってないようだし、何かかわったようでもあるし。何かかわったことがあるならば、そういった不遜なことが言える相手って、世界の中で圧倒的に味方だということに気がついたことかな。

とにかく、そういう人々には、残りの時間を本当に難しい問題と対決するために使って欲しいと願わんばかりです。