イラク国民にアメリカ大統領の選挙権を与える検討が始まります

混迷するイラク情勢に一筋の光明が差しているかもしれません。

先日、家を出ると青緑ナンバーの黒塗りの車が近づいてきて、流暢な日本語をしゃべる外国人が降りてきました。Steveと名乗る長身の男は、アメリカ大使館から来たと言い、ぼくはそのまま大使館に連れて行かれました(もちろん任意ですが)。

あまり詳しく話せないことも多いのですが、かいつまんで話すとこういうことです。

現在、米国の国防総省国務省の共同研究プロジェクトで、いままでの外交・安全保障戦略を根本的に見直す活動がはじまっているらしいのです。その内容というのは、「米国大統領の選挙権をイラク国民に与えた場合どのようなことが起きるのか」をシミュレーションしようというものでした。どのようなオプションがあるのか、その場合のシナリオを調査しているのです。

なぜ、ぼくのところにこういう話が来たかというと、いまから5年前の2001年に太田出版から出された本に寄稿した「ネットコミュニティ通貨の玉手箱」という論文の「貨幣・投票・所有の情報論的融合」という章で、以下のようなことを述べたからです。

6.貨幣・投票・所有の情報論的融合

 あくまで経済的な問題として貨幣を扱っていたが、ここから先は話を広げていく。ただし、内容はぶっ飛んでいるので、良識のある人なら疑ってしかるべきだ。できれば、本節からインスピレーションを受けて、読者の誰かが具体的なモデルを提示してくれたらうれしい。

貨幣とは何かという疑問には、視点によっていくつかの答えがある。そのひとつが「評判言語としての貨幣」貨幣評判説である。例えば、AさんがBさんから1万円の商品を買ったとしよう。その1万円でBさんがCさんから商品を買えるのは、1万円が「コミュニティの構成員に対するBさんの貢献の度合い」を表現しているからだ、と解釈することができる。実際に、発券通貨と異なり、LETSにおいてはフロー(取引)からストック(口座の残高)が決定されるのであってその逆ではない。LETSの場合はストックからフローがでるものとして観ることも可能だが、相対値貨幣に至っては完全に不可能で、評判の数値化であることは明白である。このことは、LETS型の通貨が貨幣というよりも「間接的互酬の可視化」であることを主張している。

ここで気をつけなくてはいけないのが、貨幣は評判言語だといっているわけではないのである。例えば、柄谷行人岩井克人による貨幣の議論[114]は、貨幣を受け取ったからといって次の人が受け取ってくれる保証はなく論理的には無限退行してしまうので、貨幣の受け取りには一回一回、論理的飛躍があるということであった[115]。これは、現実で取引をしている人が演繹的に判断しているわけではない、ということを言っているにすぎない。実際には、認知科学でいうところの学習の汎化(有限の過去の情報から無限の状況に対応できる世界モデルを構築し、認識し行動する)が起きているのだろう[116]。だが、柄谷らのアクロバットな議論に倣って、「そのように観ることもできるもの」として、「評判言語としての貨幣」が可能となる。ちょうど、貨幣を媒介したやり取りを宇宙人が観察したときに、そういう視点も可能であるということだ。貨幣は言語の一部であり、言語の中でも評判言語であり、評判言語の中でも人工言語(数値)である。

 すると、同様に評判言語であるところのいくつかの指標と結合することによって、新しい意味が獲得される可能性が存在する。具体的には所有と投票がそれである。上記に倣って「評判言語としての所有」「評判言語としての投票」と言っておこう。投票が評判言語であるのは非常に自明だが、すでに投票と貨幣が融合しているケースが存在しているという事実に多くの人は気がついていない。

例えば、株式会社においては、資本を投下した額(貨幣量)に応じて投票権が与えられている[117]。また、先の米大統領選挙では投票権eBAY等のオークションサイトで売りに出されて話題になった。国政のような唯一で最終的な意思決定機関でそういうことをやるのはどうかと思うが、ガバナンスのモジュール化によって各案件を別々に扱えるようになれば、投票の売買は現実味を帯びる。逆に、政党助成金は投票量に応じて貨幣を分配する制度である。もちろん、これらは必ずしもいい融合の例ではないかもしれない。融合の仕方が正のフィードバックをかけているので、これを徹底すると財産選挙権になってしまうからだ[118]。たとえば同じ融合でも、反比例にするなど負のフィードバックをかけるようにはできないだろうか。

正のフィードバックも、場合によってはいいことがある。利害関係には濃度があるが、普通の投票制ではそれを反映していないことがあるからだ。そうすると、双方の陣営は、必死にそれほど利害がなく興味の薄い層を取りまとめるために莫大な金をかける。これはあまり好ましいことではなさそうだ。コミュニティガバナンスのモジュール(部品)化に応じて、案件の利害関係者をフレキシブルに選別し、バーチャルに集めて意思決定を行うということが可能になれば、こうした無駄はなくなる。例えば、ある一つの川をめぐる様々な問題に対応するために、川の利害関係者を一同に集めて仮想的な意思決定機関をつくることはできないだろうか。川は複数の自治体や国家を通るだろうし、たくさんの企業が利用し人々が生活しているに違いない。既存の意思決定過程では、非常に煩雑な交渉を通してやりくりしている。交渉の結果(条約等)が議会で承認されるとも限らない。しかも、議会の参加者には利害と全く関係のない人々の代表者も含まれているだろう。経済と政治が複雑に絡んだ問題に、新しいガバナンスの解決策を生み出せはしないだろうか。

基本的には、いままでの社会は公-私の二項対立の図式で問題の解決が行われてきた。今後、共(コミュニティ:共同体)のパラダイムがどこまで踏み込んでいけるかが課題である。ネットコミュニティは、リアルな世界のコミュニティとまた違った可能性も(限界も)秘めているし、コミュニティのガバナンスという点で本節の手段を使うのが、いまのところ最も適当かもしれない。

貨幣、所有、投票は、以下のような評判に応じて権利を分配するメカニズムである。

貨幣:コミュニティ(社会)に対して、高い効用を与えた人が多くの購買力(権)をもつ。

所有:生産物(プロジェクト)に対して、高い関与をした人が多くの利用権(or占有権)をもつ。

投票:コミュニティ(社会)に対して、高い効用を与えられる人が多くの意思決定権(or名誉)をもつ

諸権利の相互作用を許せば、数値が相互作用するのはある意味で当然かもしれない。以上の話をまとめて、リンカーンによる有名な言葉を当てはめると次のようになる。

表 2 所有・投票・貨幣の特徴
評判 権利 分野 民主主義のカテゴリー
所有

関与 利用権or占有権 法律 Of the people
投票 効用可能性 決定権or名誉 政治 By the people
貨幣 効用 購買力 経済 For the people

このことから、貨幣、所有、投票の情報論的融合とは、e-democracy[119]の新しい形態であることが明らかだ。勘違いしてほしくないのは、あらゆるコミュニティで三者を融合させなくてはならないというわけではないということだ。単に貨幣としてだけでもいいわけだし、それはコミュニティが社会契約で任意に決めればいい。

 では、相対値貨幣と絶対値貨幣の違いはどのように比較できるだろうか。絶対値貨幣的な取引は消費者的であり、相対値貨幣的な取引は資本家的であることはすでに指摘した。消費者は買った瞬間だけ企業とつながるという意味で互いに無責任である。一方、資本家は直接的な損害をこうむるので責任を所有している。また、消費者は買う-買わないという判断でしか企業のガバナンスに影響を与えることができず、間接選挙的である。資本家は株主総会での意思決定権を持っているので直接選挙的である。以上をまとめると以下のような表になる。

表 3 絶対値貨幣と相対値貨幣の比較
取引形態 責任 民主制
絶対値貨幣 販売-購入的 断絶 間接選挙
相対値貨幣 投資-被投資的 連鎖 直接選挙的

さて、ぼくは一連の思索で何をしてきたのだろうか。それは、いままで全く別のものと考えられてきたものが、一連の連続なスキームの特殊な状態をラベリングしたものにすぎないと指摘したことだ。すなわち、個人、企業、国家、消費者、資本家、取引先、従業員、政治家というようなラベリングや貨幣、所有、投票といったラベリングを、互酬のための評判システム空間全体における点としてみることができる。その点と点の間は本来連続的につながっていたが、われわれは言語の束縛によってそれに気づくことはなかった。これからは、コミュニティにおける互酬の評判システムをどう社会契約しているかという視点から、すべてを統一的に観ることができよう。人は、資本家であると同時に消費者であり、政治家であると同時に一市民である。そのことを決して忘れてははらない。

最後の段落は、いま自分で読んでもなかなか良いことを書いてあるなと思います。われわれは連続的な空間上の点をラベリングしているだけにしかすぎず、それを今風の言葉でいえばなめらかにしていこうと言っているわけです。

この論文は、途中で「コミュニティが社会契約で任意に決めればいい」「コミュニティにおける互酬の評判システムをどう社会契約しているかという視点」という言葉が出ているとおり、構成的社会契約試論のアイデアの最初の論文になっています。

ぼくはこの論文では川のガバナンスを例にして出したのですが、これがイラクと米国でもかまわないわけです。「イラク国民に米国大統領の選挙権をあげる」という話は、東浩紀ICCでのシンポジウムで初めて言ったことだと思います。このシンポジウムはログが公開されていませんが、近藤さんと一緒にやったpodcastingは公開されているので、確認してみてください

東さんは、民主主義2.0という言葉を使っていましたが、民主主義Webサービスの時代も近いかもしれませんね。

そういうわけで、ウェストファリア体制以降、最も大きな国際システムの地殻変動がはじまっています。この研究プロジェクトに興味のある方は、スタッフを募集していますので、ぜひご連絡・コメントをください。