人工生命と構築

今日は荒川さんが天命反転住宅にきてたので、夕食をいただきながらいろいろ話を聞いた。

やっぱりぼくの情報技術を用いたアプローチはどこかしら脱構築的なところがあって、荒川さんはプリミティブなところからやっているから生命を構築しようという意思にあふれている。ぼくも人工生命の研究をしているときは構築的なのだけどね。

むしろ人工生命に対するアプローチとして対極的なのは郡司さんと荒川さんなのかもしれない。でもそれはプロシージャの問題にすぎないともいえるし、どういうプロシージャを選択したのかが大事だともいえる。プリミティブな知覚を体得しているという意味では郡司さんもかなりすごいと思うけど、どうしてrepresentationになったときにこうも違うものなのだろうか。