誤訳か否か

先日のエントリーに対して、いくつか反応がありました。

そのうち、特に馬場靖雄教授大東文化大学から、丁寧な反論のメールがありましたので、本人の許可を得てここに転載させてもらいます。以後、blogに直接コメントいただけるとありがたいです。

Hiroshi Namatame wrote...

>4年生田目です

>

>三田のルーマン研究会にも所属してまして、

>その研究会に所属している

>酒井泰斗さん

>http://d.hatena.ne.jp/contractio/20041006#p5

>や斉藤さん

>http://d.hatena.ne.jp/hidex7777/20041006#p2

>が先日の鈴木さんのblogでのエントリーを

>話題にしていましたので、

>三田の研究会のMLにメールを投げてみたところ、

>馬場靖雄先生から

>以下のようなメール返ってまいりました。

>

>--------------------------------------------

>

>> お久しぶりです。SFC4年の生田目です。

>> 後、鈴木健さんが入っているSFCで「社会システム理論」を読むゼミ

>> http://blog.picsy.org/archives/000158.html

>> に僕も入ってたりしますんで、「社会システム理論」について

>> わからない箇所があった場合には質問するかもしれませんが、

>> そのときはよろしくお願いします。

>

>当該ブログは読ませていただきました。気合いの入った読み込みは

>同好の士として嬉しく、また頼もしい限りです。ただ、私も佐藤勉訳は

こそばゆいのですが、ぼくはルーマンを読み始めたばっかりの初学者で、しかもかなり懐疑的に読んでいます。ので、必ずしも同好の士ではないかもしれません。実際、先日は第四章を読んだのですが、かなりがっかりしました。

>信用していないのですが、この箇所に関して言えば基本的に佐藤訳が

>正しいような気がします。例えば

>

>>constitutive differenceとは、差異が構成される(つくられる)という

>>ことであり、(差異が)最初からあるわけではない

>

>とのご主張ですが、「構成された」の意味なら、ルーマンはkonstituiert

>を使うでしょう。konstitutivはやはり「憲法」と類推的な、「その体制を

>構成する前提となる」といった意味で理解されるべきだと思われます。

>

>まあいろんな解釈が可能で、もしかしたら私のほうがまちがってるのかも

>しれませんが、とりあえず

constitutiveはどちらかというと、「構成する」という意味なので、

なんか書きながらひっかかっていたんだけど、読み直してみると、ここは

かなり悩ましい翻訳です。ぼくも読み直していく途中で、8:2くらいで佐藤=馬場訳が

正しいかなと思ったりもしたけど、いまは7:3で自分の解釈が正しいと思っています。

悩ましいのは、実際、第五章を訳した長井さんも、

****************

Instead, relationship to the environment is constitutive in system formation.

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****************

詳しく言えば、システムと環境の関係は、システムの形成にとって構成的であり、

システムの不可欠の前提となっている。(P280)

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と、わざわざconstitutiveに両方の訳を割り当てている。

佐藤さんがあのような訳を割り当てた理由を探ると、

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英訳P22

When one saids "cannot be further dissolved," this also means that system can constitute and change itself only by interrelating its elements, not by disolved and reorganizing them. One need not accept this limitation, which is constitutive for system itself, in observing and analyzing systems.

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****************

佐藤勉訳P34

と同時にあるシステムの要素が、「それ以上分解できない」ということによって意味されているのは、要素をさらに分解したり再編成したりすることによってではなく、もっぱらそうした諸要素の間の関係の形成によって、そのシステムが構成されることができ、また変化することができる、ということなのである。こうした限定は、システムそれ自体の存立にとっては不可避の条件であるが、システムを観察したり分析したりするさいに、それに固執する必要はない。

****************

と訳している。最初のconstituteは「構成する」で、次のconstitutiveが「~の存立にとっては不可避の条件」

と訳されていることが分かる。確かにそう訳しても意味は通りそうではある。佐藤さんは、ここを訳したあと、

2ページ前に戻って、わざわざシステムという言葉を付け足してconstitutiveを

「システムの存立の前提をなしている」と訳したわけだ。

★理由1

でも、itselfが両方にでてくるところを見ると、constitute itselfとconstitutive for system itselfが

同じ意味だと取ることもできそうな気がする。

★理由2(ここが一番決定的な理由)

実際、第四章で、以下の文章がでてくる。

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Communication is the elemental unit of self-constitution; action is the elemental unit of

social systems' self-observation and self-description.(P175)

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コミュニケーションは、社会システムの自己構成の基礎的な統一体であり、行為は、

社会システムの自己観察と自己描写の基礎的な統一体なのである。(P278)

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self-constitutionがconstitutive for system itself

systems' self-observationがobserving system

systems' self-descriptionがanalyzing system(ここはきれいには対応していないが)

に対応しているように見えないかな。P22の問題となっている部分は、ほぼここの文章と同じことを言っているようだ。

自己構成と自己観察を分けるという点をルーマンが本書を通じて徹底しているとすれば、

P22

which is constitutive for system itself, in observing and analyzing systems.

においても、構成という言葉を使うべきじゃないだろうか。

★理由3

このconstitute itselfとconstitutive for system itselfの他に、英訳P22にはあと2つのconstitutedと

1つのconstitutionがでてくるが、それらはすべて構成と訳されるべきだし、実際訳されている。

そういう文脈の中では、constitutiveだけ構成という意味を当てないというのは不自然な気がする。

★理由4

また、前のエントリーにも書いたけど、第一段落だけを単独でとってきたときに、文脈の流れとしては構成としたほうが意味が自然。

★理由5

constitutiveについて、OED(Oxford English Dictionary)で調べると、7つの意味がでてきて、その一番最初が、以下である。

1. a. Having the power of constituting, establishing, or giving formal, definite, or organized existence to something; constructive.

In the Kantian Philosophy, constitutive ideas or principles of reason are opposed to regulative, q.v.

1592 WEST Symbol. I. § 46 An Instrument constitutive is such an Instrument under the proper hand of the party as testifieth and

describeth some contract of some debt or dutie to be paied, or some fact to be done or performed as an obligation. 1670 BAXTER

Cure Ch. Div. 277 The Churches Constitutive or Governing Head. 1816 COLERIDGE Statesm. Man. (1817) 367 Whether ideas are

regulative only, according to Aristotle and Kant; or likewise constitutive, and one with the power and life of Nature. 1856 MEIKLEJOHN

tr. Kant's Crit. P.R. 317. 1867 J. H. STIRLING tr. Schwegler's Hist. Philos. 231 (Kant) These ideas, if not constitutive principles to

extend our knowledge beyond the bounds of experience, are regulative principles to arrange experience. 1870 BALDW. BROWN Eccl.

Truth 256 The great constitutive ideas which have moulded powerfully the institutions of society. 1879 R. ADAMSON Philos. Kant 107

The principle [of the intelligibility of Nature]..under which we subsume real experience is not constitutive but regulative, a mere maxim

of reason, and subjective.

「何かに対して組織化された存在を構成する力を持つ」という意味を日本語で構成的と訳すならば、

あえて、「~の存立の前提をなしている」とする必要性はないと思う。

ルーマンのconstitutive=constitution=constitute=constitutedもそういう意味で通じそう。

カント哲学にconstitutiveがでてくるということみたいだけど、独語ではどうなってるんだろうね。

konstitutivなんだろうか。regulativeと対立概念というのも興味深いなあ。

これ以上読解しても発展はなさそうなので、このへんにします。まあ、こういった悩ましい単語を訳者たちも熟慮して悩んだ末に、ああいう訳を割り当てたのは明らかなので、それほど非難するところじゃないかもしれない。

>

>>2.英訳では「Out of the relation among elements emerges

>>the centrally important systems-theoritical concept of

>>conditioning」となっている。out ofがポイントで、諸要素の関係の

>>外側でconditioningが生まれると言っている。

>

>というのは完全に勘違いですね。原文は

>

>Auf die Relation zwischen Elementen bezieht sich der system-

>theoretisch zentrale Begriff der Konditionierung.

>システム理論にとって中枢的である条件づけの概念は、諸要素間の

>関係に関わってくる。

>

>英語として考えても、emerge out of...とあればそれは「……から生じる」

>「……に由来する」と解釈するのが自然であって、「外側で」というのは

>いささか思いこみが激しすぎるのではないでしょうか。

馬場さんのいうとおりですね。

「に関わってくる」だとやっぱり意味的に変で、「……から生じる」か「……から創発する」がよい訳だろうね。

これだと誤解が生じにくい。

(英語版にはない)つけられたタイトル「諸要素間の関係の条件付」がおかしいのはたぶんほんとで、実際第三章では、訳も諸関係の条件付けになっている。諸要素間の関係の条件付けだと、要素と要素の間の条件付けになってしまう。ここを佐藤さんが勘違いしているのは、間違いないと思う。

>

>--------------------------------------------

>

>ということでした。

>そして最後に

>

>>全体としては当該ブログは大いに

>>共感をもって読ませていただきました。もし可能ならば、一度同席させて

>>いただきたいと、関係者の皆様にお伝えください >生田目さん。

コメント、どうもありがとうございました。また、気分のったら時々書き込むと思いますので、つっこんでやってください。