XMLの文体と新しい社会契約論(7):構成的社会契約試論

XMLの文体と新しい社会契約論」シリーズはこれにて完結となる。

 

以下は、季刊InterCommunication No. 55 2006 Winterに寄稿した論考を編集者の許可を得て、クリエイティブコモンズライセンスで掲載するものである。ただし、雑誌に記載されているものと必ずしも一字一句同じではないことをご了解いただきたい。

 

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この論考は、戦争や人種差別をどのようにしたらなくすことができるかという古くからある問題に対する私なりの答えである。この論考に対するもっとも効果的な反論は、スタンリー・キューブリックによって与えられているが、それに対する再反論はまた別の機会にさせていただきたい。

 

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構成的社会契約試論                                 鈴木健

 

 生まれたときに社会契約を結んだという人を私は知らない。生まれた後に社会契約を結んだという人も私は知らない。誰もそのような契約書にサインしたこともなければ、見たことさえない。しかし、社会契約は、近代以降の社会制度を正当化させるための仮構として確固たる地位をしめてきた。

 

 時にわれわれはこの謎にせまる必要があるかもしれないが、新しい謎をつくりだすほうがよっぽど魅力的な仕事だ。未来から現在を振り返ったときに、「なぜ昔の人は社会契約論が仮構だと考えたのだろう。実際にわれわれは社会契約をしているではないか」と思わせることはできないのだろうか。

 

1.構成的社会契約への思想的パス

 ホッブズは国家の正当化と正統化のロジックを王権神授説から社会契約論に切り替えるという重大な役割を果たした。自然状態から社会的秩序がいかに形成されるかというホッブズ問題を提起し、各個人がもっていた自然権が放棄され、絶対的な力をもったリヴァイアサンが形成されるというロジックによって、近代政治思想の諸概念を切り開くこととなる。

 

 ロックとルソーはそれを引き継いだが、既存の国家権力を正当化するのではなく、人権思想の基礎付けを重視した。ロックとルソーの言説は近代国家システムの成立に直接的・間接的な影響を与えたが、その考え方は幾分か異なっていた。ラッセルは、このことを以下のように表現した。

 

ルソー以降、みずからを社会改革者と目するひとびとは、二つのグループ、すなわちルソーに追随する者とロックに従う者にわかれてきた。時には両者は協力したのであり、両者が互いに相容れぬものだと考えない個人も多くいた。しかししだいに、その不両立はますます明白になるにいたった。現在では、ヒットラーはルソーの帰結であり、ルーズヴェルトチャーチルはロックの帰結である。 (バートランド・ラッセル「西洋哲学史」)

 

なぜラッセルはこのように考えたのだろうか。ルソー「社会契約論」を読めば、その理由は明らかだ。

 

社会契約は、契約当事者の保存を目的とする。目的を欲するものはまた手段をも欲する。そしてこれらの手段はいくらかの危険、さらには若干の損害と切り離しえない。他人の犠牲において自分の生命を保存しようとする人は、必要な場合には、また他人のためにその生命を投げ出さねばならない。そして統治者が市民に向かって「お前の死ぬことが国家の役に立つのだ」というとき、市民は死なねばならない。なぜなら、この条例によってのみ彼は今日まで安全に生きてきたのであり、また彼の生命は単に自然の恵みだけではもはやなく、国家からの条件つきの贈物なのだから。 (ルソー「社会契約論」)下線筆者

 

それに比べて、ロックは、国家の絶対性をいかに排除するかに腐心する。国家が暴走した場合、国民は抵抗権や革命権を行使することができるとした。

 

ふたつの社会契約論に見られる差異は、ときに見逃されがちな社会契約の成立のされ方に由来する。ルソーにおいて、社会契約は全体と個人の間で行われるが、ロックにおいては個人と個人の間で行われる。

 

ルソーは「社会契約論」において、共同体は契約主体たる自我と意志をもつとした。

 

この結合行為はただちに、各々の契約当事者の個々の人格にかわって、ひとつの精神的で集合的な団体をつくりだす。この団体は投票者と同数の構成員からなり、この行為により統一性と共通の自我を持ち、それ自身の生命と意志を持つようになる。

 

この形式から、この結合行為が公共と個人の間の相互の約束を含むということがわかる。(ルソー「社会契約論」)下線筆者

 

これに対し、ロックは次のように考えた。

 

このようにして各人は、一政府の下に一個の政治体を作ることに他人と同意することによって、多数者の決定に服し、それに拘束されるべき義務を、当該社会の各員に対して負うようになるのである。

 

政治社会を開始し実際に構成するものは、多数決をすることのできる自由人が、このような社会を結成するのに同意することに他ならない。そうしてこれが、またこれだけが、世界のあらゆる合法的な政府を開始させた、あるいはさせることのできたものなのである。(ロック「市民政府論」)下線筆者

 

ロックは結婚も契約にすぎないのだから、条件さえ整えば離婚してもよいと考えていたが、国家も同様のロジックで契約にすぎないと考えていた。ロックにおいて、国家は自我や意志をもつ生命ではなく、単なる契約によって生まれた仮想的な存在であった。彼は、社会契約が実際に構成されたものとみなしていたのだ。

 

 私はロックに追随しようと思う。

 

しかし、ロックにおいてさえ、社会契約に排他性は存在する。多数決原理に参加できるかできないかのメンバーシップは明確だ。ここでさらにロックの方法を発展させ、論点ごとにアドホックに形成される、よりなめらかな社会契約ができないだろうか。

 

2.構成的社会契約への技術的パス

 

Web 2.0

最近、Web 2.0という言葉がネットの界隈で流行っている。かっちりと定義されているわけではないが、90年代のWebとは異なるWebのアーキテクチャへの地殻変動が、たったいま起きているのではないかと感じているアルファギークたちのキーワードになりつつある。Tim O'Reillyは、Web 1.0とWeb 2.0の違いは以下のような例で見て取ることができるという。

 

 

Web 1.0 Web 2.0

DoubleClick-->Google AdSense

Ofoto-->Flickr

Akamai-->BitTorrent

mp3.com-->Napster

Britannica Online-->Wikipedia

personal websites-->blogging

evite-->upcoming.org and EVDB

domain name speculation-->search engine optimization

page views-->cost per click

screen scraping-->web services

publishing-->participation

content management systems-->wikis

directories (taxonomy)-->tagging ("folksonomy")

stickiness-->syndication

 

 

以下が、これらの例を抽象化した7つの原理だそうだ。

1.パッケージソフトウェアではなく、費用効率が高く、拡張性のあるサービスを提供する。

2.独自性があり、同じものを作ることが難しいデータソースをコントロールする。このデータソースは利用者が増えるほど、充実していくものでなければならない。

3.ユーザーを信頼し、共同開発者として扱う。

4.集合知を利用する。

5.カスタマーセルフサービスを通して、ロングテールを取り込む。

6.単一デバイスの枠を超えたソフトウェアを提供する。

7.軽量なユーザーインターフェース、軽量な開発モデル、そして軽量なビジネスモデルを採用する。

 

 独自性のある再生成困難なデータは機械が突然つくるわけではなく、多くは人間の手を通して作られる。そこで、人間が使いやすい軽量なUIからデータを入れさせる。wikipediaのようにユーザを徹底的に信頼しないと、ユーザがデータ入力をさせるのを躊躇させ、結果的にデータは得られない。そうして得られるデータは、普通の意味では価値の小さいロングテールに属するものだが、それを集めて集合知として利用すれば大きな資産になることをGoogle Adsenseは証明してきた。溜め込まれたデータはサービスとして他のサービスが利用できるようにしよう。そうすると、データの価値は益々上がる。

 

簡単にまとめれば、「軽量なUIで、ユーザを徹底的に信頼したサービスを提供して、ロングテールからユニークなデータを集めろ。そのデータを利用して集合知を作ってサービスに統合しろ。そのサービスを他のサービスから利用できるように公開しろ」ということになる。要するにデータをどう入手し、加工し、配信するかという方法を言っているにすぎない。

 

現在のソフトウェア開発の最大の問題は再利用性である。Web 2.0は、スタンドアローンアプリケーションでなくWebアプリケーションにおいて、このことを可能にする概念である。しかしWeb 2.0において、再利用性は、単にプログラムの再利用性に限らず、データの再利用性も含まれる。例えば、Google Mapsは、単に地図アプリケーションというだけでなく、普通の人が到底集めることのできない膨大な地図データ、衛星写真データを公開している。Google Maps APIを用いることは、地図アプリを使うだけではなく、地図データを使うことを含んでいる。ソフトウェアの開発よりもデータ開発のほうに圧倒的にコストがかかることは周知の事実であるが、この問題はWebのいたるところに広がりつつある。

 

 データ入力と加工はWeb 2.0の前からあったが、単にそのやり方が洗練されてきただけである。新しいのは、データをサービスとして公開し他のサービスから利用できるようにしようというところにある。だがこれも実装的な面での新しさにすぎず、概念的な新しさではない。「機械によって処理可能なWeb」というコンセプトの下、XMLの仕様が策定されたのは1998年のことで、XML(SOAP)を利用したサービス間連携の手段であるWeb Servicesも2000年くらいから取り組まれており、それらがようやくWebの主流として浮上してきただけに過ぎない。世界は、最先端と呼ばれる、実のところはやや遅れた人々のおかげで切り開かれていくので、この動きを批判したいわけではない。ただ本稿では、社会契約について論じることがゴールなので、より先へ急ぐことにしよう。

 

●Web 3.0 ASP SP

もうひとつ先の未来として、Web 3.0を考えてみよう。Web 3.0は2010年にメインストリームになるWebの姿である。残念ながらそれは、2000年ころに夢みられていたP2Pが主役となる世界ではない。人々が何に困っているかという点からこの世界の趨勢は決まるが故に、そうならざるを得ないのだ。

 

 Web 2.0までの方法では、クライアントが取得できる程度のデータしか利用できない。例えば、他人がどのようなコンテンツを読んでいるかをクライアントはとってくることはできないので、クライアント側で協調フィルタリングするということは不可能である。データの共有性の徹底を考慮すれば、データはひとつのサーバーにおいておいたまま、開発者は、サーバー上で任意のプログラムを開発・実行できたほうがよい。

 

 すなわち、Web 3.0とはASP SP(Application Service Providers Service Provider)である。開発者は、サーバー上のあらゆるデータを使ってソフトウェアを開発することができる。例えば、GoogleGmailの機能追加をすることができる開発・実行環境を、Gmail上で公開するといったことをイメージしてほしい。メールの送受信関係の連鎖から、自動的にメールの送り先を推薦するソフトウェアをGoogle外部の開発者が開発してもよいだろう。そのようなことは、いままで不可能だった。

 

 また、スケジューラの予定をメーラにドラッグ・アンド・ドロップすると、スケジュールのデータ構造をもったままメールを送信することができるというのでもいい。メールの受信者は、そのデータを会社のプロジェクトで共有化されたスケジュール型データ検索の対象にすることができる。

 

 ただしASP SPには性能とセキュリティという大きな問題がある。外部開発者が無限ループになるようなプログラムを書いて、サーバーのリソースを圧迫するということがありうるだろう。しかしこの問題は、プロセスごとにリソースを切ったり、自動監視ツールを使えばかなりの程度回避できるだろう。

 

 より深刻な問題はセキュリティである。外部開発者は、デバッグのために具体的なデータを見たいと思うだろう。文字コードなどのやっかいな問題は、完全な内部データがないとデバッグできないことも多い。データが隠蔽されたままソフトウェアを開発するということは果たして可能なのだろうか。

 

 問題をはらみつつも、ASP SPは開発者にとって夢のような環境である。

 

1.すでに存在するソフトウェアをそのまま再利用できる。インストール作業も必要ない。

2.個人データを含む膨大なデータを再利用できる。

3.サーバーやネットワークなどのハードウェアの管理が必要ない。

 

ソフトウェア開発者は文字通り徒手空拳で、ほんのちょっとの手間で新しいソフトウェアを開発・実行することができる。しかも、Web 2.0とは違い、既存のユーザベースをそのまま誘導することができるのだ。

おそらく、Web 3.0に最短な企業のひとつはGoogleである。Gmail広告の「機械はデータを読むが人はデータを読まないのでセキュリティ上安心なテキストマイニング」という概念は、あともう少しでWeb 3.0に到達する。その他にも、salesforce.comのAppexchangeやning.comなど、Web 3.0に近い動きがでてきている。

 

 現在ではユーザが自覚的に入力するデータに加えて、さらに無意識的な情報が蓄積される傾向にある。自分が誰かのページに訪れると訪問履歴が残るという、mixiの足あと機能がその典型である。無意識的なデータも含めて、その人の人生に関するありとあらゆるデータを蓄積するようになるのがライフログである。

 

ライフログという言葉が有名になったのは、DARPAがlifelogプロジェクトの立ち上げを宣言してからだ。

 

 lifelogプロジェクトは、兵士が見るもの聞くもの触れるものすべてをログにとってしまうことによって、兵士の活動をアシストしようというものだ。このプロジェクトは、プライバシー侵害の批判もあって中止になり、DARPAは軍事用途に限定した別のプロジェクトを立ち上げた。興味深いのは、この計画のリファレンスにVannevar Bush(1945)とJ.C.R. Licklider(1968) というふたつの重要な論文が引用されていることである。

 

 Bushの"As We May Think"の前半は、人にセンサーをつけることによっていかに楽にデータをログ化するかという今でいうウェアラブルコンピューティングやワイヤレスコンピューティングの話で、MEMEXはそのデータをどのようにつなぐかという話としてその後に導入される。ライフログはコンピューティングの歴史のはじまりとともに宣言されているわけだ。余談だが、MEMEXの後には、神経接続の話も提案されている。

 

 ライフログは魅力的なコンセプトとはいえ、プライバシーの懸念が高まる中、Web 3.0のアーキテクチャで、ライフログが実現するとは思えない。

 

●Web 4.0

Web 3.0においてデータが一箇所に集中するという事態を打開しようと、立ち上がるハッカーが現れるだろう。データを分散化しつつ、利便性、性能とセキュリティを確保するためのアーキテクチャ、Web 4.0への動きがはじまる。

 

 Web 4.0は、2015年のWebのメインストリームの姿である。

 

 その端緒はブログである。ブログの問題は、あるひとつのデータ型しか扱えないことであった。このために、密連携が必要な情報はあいかわらずコミュニティサイトやポータルサイトに蓄積され、真の意味での分散化は遠い状況である。

 

 たとえば、携帯音楽プレイヤーのクチコミ情報を知るのにもっともよい方法は、デジタル機器のコミュニティサイトで、ユーザの評判を調べることだ。ブログ検索エンジンで同じことをやろうとすると、製品名があいまいすぎて、目によるフィルタリングをしなければならない。評価が高いもの順に見るといったこともできない。

 

 ブログは、任意のXMLを扱えなくてはならない。ブログから汎用XML DBへの進化である。スキーマの遍在とインラインタグという、XMLRDB型データに対するふたつの利点のうち、前者の能力の話がこの場合に問題になる。

 

 スキーマとは、データの型のことである。たとえば、「ユーザは名前と性別と住所を持っている」というがデータの型である。WEBアプリでは、このような情報をユーザから入力させるわけだが、その格納場所が問題になる。型づけされた情報を扱うのに今までもっとも適していたのはRDBだ。RDBはテーブル(表)という構造に落として、高速に検索を行うことができる。

 

 しかし、RDBは一箇所に集めて使われなくてはいけない。そのため、あるコミュニティサイトがどんなRDBの構造を持っているかは、外からは想像することしかできないし、データ同士を連携させることはましてや不可能である。

 

 それに比べ、ブログとそれが吐き出すRSSは、データを遍在化させ、連携させることができる。XMLスキーマの遍在化を可能にしたからだ。とはいえ、いまのブログではおきまりの型しか流通しない。そこで、任意のデータ型を扱えるブログ、blog 2.0が登場することになる。これには入力インターフェイスの革新が必要不可欠だろう。

 

 日記のような現在のブログに登録されている情報は、われわれをとりまく情報のほんのごく一部にすぎない。われわれが普段コミュニティサイトで何か登録するときは、もっと型づけされた情報を登録している。たとえば、amazonで本の書評を書くときに★がいくつなのかというデータは型づけされている。書評を書くときにamazonに書いてもいいし、bk1に書いてもいいし、自分のブログに書いてもいいだろう。しかしこうしたデータはまったく流通しにくい。

 

 ライフログは、あまりにもプライバシーの被害が大きいので、Web 3.0型のサービスでは利用者は受け付けず、Web 4.0にならないと流通しないだろう。blog 2.0はこうしたライフログのプラットフォームになりうる。

 

 ライフログへのデータの蓄積は、ユビキタス時代のデータストレージとして必須の条件となる。ユビキタスとは、複数のデバイスが無意識のうちに一人のユーザのために連携して動作するような世界である。ユビキタスバイスがそのように動くためには、デバイスがそのユーザの個人過去情報を知ってなければならない。たとえば、東芝の冷蔵庫とSONYの家庭用ゲーム機とどこかの名も知れぬベンチャーの目覚まし時計が連携するためには、データベースが各社別々であっては難しい。

 

 データベースが別々でもこうした連携を可能にするための業界の標準化としてLiberty Allianceのようなものもあるが、現実問題難しいだろう。

 

 LANのホームサーバーにライフログをたてて利用するという方法もあるが、その家に知人が訪ねてきたり、家の外からそうした情報を利用するためには、結局LANの中だったはずのライフログサーバーに外からアクセスしなければならなくなる。外からのアクセスを実現するために、ハイセキュリティなライフログサーバーをホスティングするプロバイダーが現れるだろう。それは現在のブログプロバイダーと似たようなものだが、データのポータビリティに関しては何らかの標準化がなされるだろう。セキュリティに関しての競争が起きるため、ライフログサーバーは個人情報保護産業化するに違いない。

 

 ライフログには、その人のかなり詳細な人生の情報が蓄積されていくので、各個人はデータをどこまで公開し、どこまで利用させるかを自分の責任でコントロールすることになる。そのコントロールされたデータレベルに応じて、ユーザはユビキタスバイスから利便性を受けることができる。

 

 Web 2.0やWeb 3.0によって実現したのはネットがサービス化するということだが、ユビキタスライフログという特徴をもつWeb 4.0は万物のサービス化をもたらすかもしれない。経済学で、生産や交換されるものをよく財とサービスというが、財の割合が減っていき、サービスの割合が増えていく。究極的にはすべてがサービスの世界でさえ想像することができる。

 

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4.いまだ見ぬ構成的社会契約の姿へ

 

●Web 4.1 契約の自動実行

Web 4.0では、ライフログユビキタスバイスが連携したが、ここに他者の要素が入ると、ライフログに蓄積されたデータの公開範囲によって、付き合い方の範囲が決まってくる。あるビルに入るために必要なデータの公開範囲をビルの管理側が指定する。ユーザがそのデータを公開しなければそのビルには入れない。

 

 まわりにタバコを吸う人だけしかいない場合はタバコを吸ってもよいとする。過去にいつタバコを吸ったかというデータがライフログに残っていれば、タバコに火を点けることができる。もちろん、自分がタバコを吸わないが、人がタバコを吸うのはかまわないという人の前では吸うことができる。そうした情報もライフログに保存する。

 

 しかも、こうした処理は、ビルのドアやタバコの中に埋め込まれたユビキタスバイスが自動的に判定して実行するのである。これはまるで契約の自動実行のようなものである。不審者はビルに入れない、非喫煙者副流煙を吸わせない、という契約を自動実行させることができる。

 

 計算とは、最終的にはこの物理世界へのなんらかの影響という形をとる。たとえディスプレイに表示させるという現在のPCのインターフェイスであっても、光を発するという物理現象にゆきついていることになる。ユビキタス時代では、こうした物理世界への影響を無制限に広げることができるので、契約を自動実行することが可能になる。

 

 ただし、ここでいう契約に曖昧性があっては、契約を自動実行させることはできない。自然言語で書かれた普通の契約では、解釈の余地が残されているために自動実行は難しい。そこで、自然言語で書かれている契約に、論理を導入することが可能な人工言語を混入させることが必要になる。

 

こうした言語をCyberLangと呼ぶことにしよう。Cyborg(サイボーグ)はCybernetic Organismの略で、自然による機械(生命)と人工的な機械(機械)を生体として融合させようという考え方だ。同様に、自然言語人工言語を融合させた言語がCyberLangである。

 

契約を書くということは、CyberLangを用いてある種のプログラミングをするようなものだ。これは普通のプログラミングとは異なり、専門家でない人間でも読み書き可能な形のプログラミングになるだろう。しかし同時に機械も処理可能なので、契約の自動実行が可能となる。

 

こうした人間にも可読であり機械も処理可能な言語をつくるための方法はすでに与えられている。それがXMLである。XMLの仕様に書かれている「10のゴール」には、

 

4.「XML文書を処理するプログラムは容易に記述できる」

6.「XML文書は、人間にとって読みやすく、十分に理解しやすいことが望ましい」

 

というのがある。現時点では、両方とも中途半端にしか達成されていないが、より上位層のUIやライブラリの充実によって実現可能になるだろう。

 

現在のWebにおける入力の多くは、入力フォームに打ち込むというスタイルだが、自然に書いた文書に後からメタデータを埋め込んでいくという形でCyberLangは作成されるだろう。人間が読んでも自然で分かりやすく、機械も処理可能にするためにはその方法しかない。自然な文章の中にメタデータを埋め込むためには必然的にインラインタグを入れていくしかない。インラインタグは、XMLに可能で、RDB的データにはできないもうひとつの能力であった。

 

インラインタグにロジックを埋め込むという作業は、何度も言うとおりある種のプログラミングに相当するだろう。契約の多くは、条件とその場合の処理を記述するものだから、特定用途向けヴィジュアルプログラミング技術の進展によって可能となる。

 

ライフログによる契約の自動実行は、労働時間の成果物が会社の所有物となる民間企業内部で初期に導入され、次にB2Bの商取引、最後に消費者向けのサービスに展開されていくだろう。いずれにせよ、民間が先行するのである。

 

●WEB4.2 法律の自動実行

 法律もある種の契約であるため、契約の自動実行を法律に適用しようという発想は容易に成り立つ。

 isedの研究会で、白田秀彰は、「立法、行政、司法のうち、行政は立法者が決めた内容を機械のように着実に実行することが制度的に求められているのに、裁量の余地や立法機能が認められてしまったがために官僚制の問題が起きている。立法はプログラマー、行政は自動実行、司法は問題があったときのサポートになればいい」との趣旨の発言があった。

 

 これは過激な発言に聞こえるが、法律において曖昧さの排除は重要である。憲法9条は「国際紛争を解決する手段としては」が曖昧なため、時の政権によって解釈をつくりだすことができる。「国際紛争を解決する手段としては」の補集合をメタデータとして外延的に定義することによって、こうした解釈問題は起こりにくくなる。起こらなくなった上で改正をすればよいのである。

 

法律の自動実行はいきなり憲法という話にはならず、民間の成功事例を参考にしながら、個別具体的で害の少ない法律から適用されていくだろう。

 

●WEB4.3 構成的社会契約

法律は国家と国民の間の契約であることを忘れないでほしい。はたして法律は必要なのだろうか。われわれは、社会契約が現実に構成的に行われたというロックの考え方を、実際に実行してしまう技術的なパスを考えたい。個人と個人の契約によって社会契約を作り出すことはできないだろうか。

 

ピアな契約の連鎖が社会契約に相当するものを作り出すことができれば、「われわれは実際に社会契約をしている」のである。

 

 GNU/Linuxをはじめとするソフトウェアのライセンスとして利用されているGPL(GNU GENERAL PUBLIC LICENSE)の伝播性は、ピアに結ばれた契約が伝播することによって、豊かな生態系を生み出すことが可能であることを示したおそらく最初の例である。

 

 GPLの伝播性とは、GPLでライセンスされたプログラムの派生物もGPLにしなければならないという条項が入っていることをいう。もちろん、契約の強さが減衰することがないため、商用利用での使いにくさもよく指摘されるところではあるが、私は、ここに構成的社会契約のヒントを見出している。

 

 しかし、GPLの伝播性がつくりだしているのは、ある種の閉じた生態系であり、ピアな契約の伝播だから必ずしもなめらかになるわけではない。

 

ゲーデルエッシャー・バッハ』(白揚社、1985年)を書いたダグラス・R・ホフスタッターが後に書いた『メタマジック・ゲーム』(白揚社、1990年)という本で、哲学者で弁護士のピーター・スーバーが考えた「ノミック」というゲームが紹介されている。いくつかの条文があって、複数人のプレイヤーがその条文をつかってほかの条文を書き換えていいというゲームだ。ところが、ノミックというゲームを成立させるためには、ある程度の条文を書き換えると問題がおきることがあるということをホフスタッターは議論する。

 

 伝播し、構成された社会契約を誰がどこまで書き換えてよいのかということも、契約の範囲内となろう。ルール自体を書き換えていく生命システムや社会システムにおいて、いままでは憲法のような自然言語というアーキテクチャのなかで、ルールを書き換えていく限界はどこまでなのかということを考えてきた。

 

そうして、書き換えの困難さの度合いをチューニングしていくということが立憲政治の歴史であった。しかしこれからはソフトウェアという新しいアーキテクチャにおいて、200年とか300年というスパンで何のルールを書き換えていいか、何のルールを書き換えてはいけないかということを考えていくことが必要になるに違いない。なめらかさに開かれているということ自体が、そうした重要なルールとなることを願っている。

 

4.なめらか/ステップ/フラット

本論は、世界の多様性と社会秩序(ホッブズ問題)をいかに両立させるかという問題に意識をもつ人に読まれたいと願っている。近代国家は、膜の内側を均質化し、内部システムを維持するための道具としてのみ外部を利用するという考え方に立脚して成立している。外部と内部の間でステップな関係をもつこのシステムをなめらかにするために、新たな社会契約論が模索されているのである。

 

 なめらかというのは、たとえば下記の図のような状態をいう。

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高い状態と低い状態があり、その二つの状態がなめらかにつながっている。

 

 ステップな状態とは、二元的なもの、あるところで非対称な関係が存在することを意味する。現代においては、ステップなものはよろしくないという合意がある程度できつつある。

 

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では、フラットはどうだろうか。フラットな状態は、一元的でいたるところ平等で対等な状態を意味する。しかしここには文化や多様性の源泉である非対称性が存在しない。

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 なめらかな状態は、内と外を明確に区別することを拒否しながらも、非対称性を維持することによって文化や多様性をつくりだすことができる。そういった意味で、本論で提案された構成的社会契約は、なめらかな社会契約といってもいいだろう。

 

 

 技術的パス思想的パス

なめらかWeb 4.3ロック的自然状態・国家

ステップWeb 4.2ホッブズ・ルソー的国家

フラットWeb 4.1ホッブズ・ルソー的自然状態

 

 

 近代国家システムへのこのささやか抵抗は、ゆっくりと始まることだろう。それは決して暴力的であってはならず、まさに構成的に行われるのである。

 

問題は、この新しい社会契約がかえって多様性となめらかさを損ないはしないかという点と、軍事と暴力をどのように制御するかという点(全権委任と政治的決断主義について)、生殖に伴う諸論点にある。

 

 これらについて細かな分析を費やす紙面の余裕はないので、本論はあくまで試論ということで勘弁していただきたい。構成的社会契約の、技術としての可能性と思想としての可能性の2つを提起したこととして、ひとまずファイルを閉じることにしたい。

 

【参考】

Tim O'Reilly "What Is Web 2.0"

http://japan.cnet.com/column/web20/

http://www.oreillynet.com/pub/a/oreilly/tim/news/2005/09/30/what-is-web-20.html?page=1

 

DARPA lifelogプロジェクト

http://www.darpa.mil/ipto/Programs/lifelog/

 

Vannevar Bush “As We May Think”, 1945

http://www.theatlantic.com/unbound/flashbks/computer/bushf.htm

 

ホッブズリヴァイアサン岩波文庫

 

ルソー「社会契約論」岩波文庫

 

ロック「市民政府論」岩波文庫

 

ホフスタッター『メタマジック・ゲーム』白揚社、1990

 

以下は著者が構成的社会契約について過去触れたMLの過去ログや文献である。

npo-cap(2000-2001)

 

鈴木健「ネットコミュニティ通貨の玉手箱」(『NAM生成』太田出版所収)2001

 

XMLの文体と新しい社会契約論(2004-2005)

XMLの文体と新しい社会契約論(1)

XMLの文体と新しい社会契約論:(2)XMLの分類のヴィジュアル化と分析

XMLの文体と新しい社会契約論:(3)これからはドキュメントのXML

XMLの文体と新しい社会契約論:(4)例2 論文のXML

XMLの文体と新しい社会契約論:(5)チューリングとXMLの関係について

XMLの文体と新しい社会契約論(6):Web3.0