チューリングテストと身体性とその先(鈴木啓介氏特別寄稿)

チューリング生誕100年と1ヶ月の今日、特別にゲストエントリーを書いてくれるのは、英国サセックス大学研究員の鈴木啓介博士である。鈴木啓介氏は、もうひとりの自分を現実感をもって観るというドッペルゲンガー体験を生み出すことに成功して最近ネットで話題騒然となった、代替現実(SR)システムの発明者(発案者であり開発者)である。代替現実システムについては、こちらこちらの記事を読むと分かりやすいだろう。

実は、彼は池上高志研究室の後輩で、ヴァレラの”Principles of Biological Autonomy”をエクストリーム・リーディングした、いわば同志である。大学院時代オートポイエーシスの研究をし、ポスドクになってからは意識と身体性の関係について研究を続ける鈴木啓介氏が、今回はチューリング・テストの新しい可能性を最新の研究や様々なSFを通して読み解くという興味深いエントリーを寄稿してくれた。

チューリングの切り開いたアイデアは、いまでも科学者にインスピレーションを与え続けている。だが、科学する心は科学者だけの専売特許ではない。まどろみの中で夢の続きを見るあの瞬間は、誰に対しても開かれている。人間の知能を、コンピュータやロボットなどの手法で作り出すことが果たしてできるのか、ぜひ一緒に考えてみて欲しい。

チューリング生誕100周年特別シリーズについては、「アラン・チューリング、その魂の灯火」(鈴木健)、「チューリングの夢」(森田真生)も要チェック。

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チューリングテストと身体性とその先

鈴木啓介イギリス サセックス大学 意識科学研究センター 研究員

アラン・チューリング。このブログの主、鈴木健氏が息子の名前をとったとされるコンピュータの父である(注1:ちなみにもう一人はパソコンの父、アラン・ケイ)。チューリングについて知ったのは、昔研究室にあった漫画を読んだのがきっかけだった。機械でどうやって生命を作ろうとか考えていた大学院時代に、チューリングの名を冠したものには幾度も出会うことになった。チューリングパターン、チューリングマシンチューリングテストチューリングによって、それまでただの「モノ」であった機械は、「ワタシ」達自身でもある生命や知性を語ることができるレベルまで引っ張りあげられた。あるいは、計算万能性やソフトウェアという概念は、デカルト的な物と心という二分法に情報的実体という新たな次元を付け加えたとも言えるのかもしれない。実際、このパラダイムは深く浸透しすぎていて、我々が脳について語るときに無自覚にコンピュータのメタファーを使ってしまうほどだ。しかし、チューリングの業績について詳しくは先の二人におまかせして、ここではチューリングテストをきっかけとして、少し違う方向に話を展開していこうと思う。

映画「ブレードランナー」で人間とレプリカント(=人造人間)を見分けるためのテストが出てくる。フォークト=カンプフ(VK)テストと呼ばれるこのテストでは、対象となる人に対して感情を揺さぶる質問を投げかけ、そのときの生理的反応から人間とレプリカントを見分けることが出来るとされる。チューリングの業績の一つである、チューリングテストも同様に、人間かコンピュータか分からない相手とチャットを通して会話をすることで、相手が人間かコンピュータかを見分けるテストである。VKテストとチューリングテストの重要な違いは、チューリングテストでは文字によるチャットのみに相手との相互作用を制限している点にある。こうすることで機械と人間の間に生じてしまう知性とは関係ない差異、VKテストで利用する生理反応などの身体的機能や外見上の違いを無視できる。チューリングはあくまで(それが存在するとして)身体から切り離された純粋な知性というものを考えていた。そうしてそのような知性がコンピュータによって原理的にはシミュレートされうるという主張を持っていた。ここからは、他の全ての機械をシミュレートできる万能計算機械としてのコンピュータに、チューリングの揺るぎなき信頼を持っていることが伺える。

毎年、人間に最も近い人工知能会話ボットに授与されるローブナー賞の大会では、実際に会話ボットがチューリングテストをクリアできるか人間の審査員によって審査される。年々性能が上がっている会話ボットの幾つかが、会話においては完璧に人間を騙せるようになるのも間もなくかもしれない。一方で、近年のロボットや人型アンドロイドの著しい技術発展を見ていると、身体を交えたフルバージョンの「模倣テスト」を考えることも悪くないように思える。チューリングテストを純粋で原理的な知性ではなく、身体化し具象化した対象にまで広げていくと、この問題はある意味で我々が生命と非生命を外から見分けられるかという問題に到達する。我々はそもそも何をもって目の前の対象を生き物だと認識しているのだろうか?VKテストのような情動反応? 自分で動きを作り出す自律性? あるいは、もっと漠然とした「生きて」いる感じ? ライフゲームを発見したジョン・コンウェイは、夜中の病院のスクリーンで静かに瞬くライフのパターンがまさに「生きて」いると感じたという。

発達心理学トレヴァーセンが行ったダブルモニター実験は、この生命と非生命の区別という問題に面白い視点を与えてくれる。この実験では母親と乳幼児がビデオカメラとモニター越しにコミュニケーションをする。母親と赤ちゃんをライブで繋げた場合、母親はこのモニター越しでも赤ちゃんをあやすことができたが、過去に記録した母親の映像を流したときは赤ん坊をあやすことができなかった。つまり、赤ん坊は母親が「生」でないことに気づいてしまった。この研究が面白いのは、我々が本質的にただ見ているだけの観察者ではいられないことを示した点にある。注目して欲しいのは、母親の映像自体はライブでも記録したものでも完全に同一な点だ。違いは観察者である赤ちゃんの方にある。ライブのときだけ生じるリアルタイムの赤ちゃんの反応が、母親の振る舞いに影響を与える。赤ちゃんはライブのときのみ存在するこのコンティンジェンシーそのものを感じ取っているのだろう。

このように、対象に自分自身が巻き込まれることで始めて生じる「ライブ性」ともいうべき性質こそが、我々がある対象を生き物っぽく感じる要素の一つだと考えることができる。そして、もちろんこれは生命だけに特有なものではないかもしれない。例えば、オートバイのような複雑でダイナミックな機械と触れ合うと、同じような感覚が引き起こされる可能性はある。いずれにしろ、ここで重要なのは「生き物っぽさ」というのは「もの」に属する性質ではなく、ものと我々の間の相互作用そのものに宿っているという視点である。超越的な観察者を否定し、世界に開かれ、ときには世界にはみだしたものとして知性や生命を捉えることで見えくるものがある。しかし、ここではこのような身体化された世界をさらに一歩先に進めてみることにする。

先日、私が発案から開発まで関わってきた代替現実(SR:Substitutional Reality)システム理化学研究所BSIから発表された(注2:脇坂崇平研究員、藤井直敬チームリーダーとの共同研究)。SRシステムはパノラマカメラで撮影した360°の映像をヘッドマウントディスプレイ(HMD)で体験する装置である。HMDには運動センサーがついており、全方位映像の好きな方向を自由に見ることができる。ここまでだと、これはテレプレゼンス装置とテレイグジスタンスと呼ばれるものだ。SRシステムの肝は、HMDに付けられたカメラからのライブ映像と過去に記録したパノラマ映像を「シームレス」に切り替えられるところにある。例えば、あなたが実験室に来る1時間ほど前に、同じ場所で映像を前もって撮影しておけば、あなたは、今見ているものが、現在の映像なのか過去映像なのか気づけなくなる。つまり、あなたが今、体験し現実だと信じている世界を、実験者が実験的に操作可能になる。このシステムで何が出来るのだろうか?

SRシステムには過去映像を現実だと信じさせるためにいくつかコツがある。本人が自分の体を見ないように気をつけるのがその一つだが、もう一つ、人との会話を始めとするリアルタイムの相互作用をなるべく避けるというのがある。過去映像に登場させた人物が簡単な質問をしたりはできるが、即興演奏のようにその場で参加者がつくりあげるような会話は過去映像では再現できない。これは先程のコンティンジェンシーの認知の話と同様である。しかし、SRシステムでは、ここで別の問いが自然と思いつく。眼前の出来事を限りなく現実だと信じている人にとって、ライブの相互作用はどこまで必要なのだろうか?映画「シックスセンス」でブルース・ウィルス演じる主人公は、自分が置かれた「ある状況」に最後まで気づかない。もしかしたら、会話がたとえ一方通行であっても、人はそれを都合のいいように解釈して納得してしまうのかもしれない。実際の会話でも実際はコミュニケーションにはこのような断絶が頻繁に起こっていて、それでも我々はうまくコミュニケーションは成り立ってしまうのだ。

以上の「シックスセンス」問題(注3:ちなみに、この問題の名付け親は鈴木健氏である)はSRシステムで取り組もうとしている問題の1つである、現実への強い信念が作り出す合理化や作話とも関係している。トップダウンの信念が、ボトムアップの知覚情報にどこまで影響するのかという問題は、どうして我々が物理的に存在しないものを「経験」してしまうかと関係している。あるいは精神疾患患者に見られる妄想や幻覚の解明に一役買うというべきかもしれない。しかし、このような脳の中にある「信念」をベースにした説明は、先ほどの身体化された知性という見方と正反対なようにも思える。イギリスでは最近盛んなベイジアンブレインという考え方がこの2つを調停すると期待されている。が、だいぶ長くなったのでその辺の話はまた別のところでしたいと思う。

チューリングの頃から比べると、我々の脳が行う「知的」プロセスへの見方自体も随分と変わってきたと感じる。知的プロセスは脳だけに閉じてないし、世界と身体との関係性の中のダイナミクスとして捉えるべきだし、一方で、我々の脳は以外と適当に見えてないものを処理するし、合理的な判断というものが一つの幻想であるということが分かってきてしまった。チューリングマシンは、これら全部を計算できるのだろうか?チューリングはそれでも原理的にはYESと答えるかもしれない。グレッグ・イーガンSF小説ディアスポラ」で、コンピュータとして動作する巨大な有機物が描かれている。ワンの絨毯と呼ばれる、チューリングマシンと数学的に等価なパズルを解き続けるこの巨大高分子「コンピュータ」は、多様な生き物からなる生態系をまるごとシミュレートしている。中にいる生き物達にとっては、仲間とのダンスも真の意味で「ライブ」なのかもしれないし、その「世界」に存在しない妄想をすることすらあるかもしれない。しかし、このシミュレータはもしかしたら地球と同じような物理的な環境を、原子レベルから全てを計算しているのかもしれない。そこでは生命や知性の形式的な理論は霧消してしまう。そんなシミュレーションは地球がもう一個あるのと同じ意味しか持たない。そう考えると、生命や知性を真に理解するために我々に必要なものは、やはり、主観と客観の狭間で踏ん張り、身体性と計算論を包含する、中道をいく理論なのだろう。そう、世界を、新しい魔法で、再魔術化するような

2012年7月21日 ブライトン イギリス

茅野市で、科学未来館「かこさとし」巡回特別展本日より開催

ぼくが監修させていただいた科学未来館の特別展「きみのみらい・みらいのきみ-かこさとしと探しにいこう、絵本の中へ」(2010春)がの巡回展が、本日2012/7/14より長野県茅野市八ヶ岳総合博物館で始まります。

特別展「きみのみらい・みらいのきみ-かこさとしと探しにいこう、絵本の中へ」

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絵本を通して科学を伝えてきたかこさとしさんをアドバイザーに迎え、世代をこえて私たちの未来について語り合う企画展です。
かこさんの時代をへても変わらない科学のまなざしを軸に、先端科学が見すえる未来のビジョンをグラフィック展示で紹介。
21世紀に生きる私たちのあり方を考えます。
21世紀を生きていく君、君がこれからを生きるために、すこし立ち止まって話をしようと先輩が待っている。
さあ、先輩-かこさとしさんと一緒に、君と世界の未来のあり方について考えてみよう。

かこさとし加古里子) 絵本作家 児童文化研究者 工学博士、技術士(化学)
1926年、福井県生まれ
東京大学工学部応用化学科卒業 1959年より児童文化の調査、出版活動を行い、現在までの作品数は約550点に及ぶ。

開催期間 7月14日(土曜日)~9月2日(日曜日) 時間 午前9時〜午後4時30分
休館日 7月17日(火曜日)・7月23日(月曜日)・ 8月20日(月曜日)・8月27日(月曜日)
入場料 大人310円・高校生210円・小中学生150円
(20人以上で団体料金、諏訪地方の小・中学生・高校生は無料)
主催 茅野市八ヶ岳総合博物館
企画・制作 日本科学未来館
アドバイザー かこさとし

かこさとしさんは、工学博士として企業研究者をしながら、「だるまちゃんとかみなりちゃん」のような素晴らしい絵本をたくさん書かれている大変素敵な方です。現代社会の問題を解決するためには、お金の問題をどうにか根本から考え直さないといけないと前から考えていたそうです。

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そんなかこさんに、科学未来館の方がPICSYや分人民主主義の話をしたところ、未来のお金を科学技術を使って設計するというところに興味をもっていただき、今回の企画ではじめて知己を得ました。そういうわけで、この特別展の監修をすることになり、だるまちゃんがPICSYの伝播性について説明をするというとっても珍しいパネル絵本展示となりました。他の研究者の内容も面白いので、ぜひおすすめです。

茅野市八ヶ岳総合博物館は、茅野市の中でも諏訪よりですので、中央道からけっこう近いです。近隣の方も、そうでない方も、夏休みに親子ででかけてみてはいかがでしょうか。

今回の巡回展ではやりませんが、2010年の科学未来館では、小学生を対象にしてPICSYと分人民主主義を説明し、実際に投票実験までしてもらうという、とってもチャレンジングな企画を行いました。結果として池上高志の子ども達にレクチャーするというなんとも光栄な機会となりました。

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そういえば、ドミニク・チェンと知り合ったきっかけとなったICCでのワークショップ(2005)のときも小学生に呼びかけましたし、どうやら子どもと縁があるようです。これは決して嫌なことではありません。ぼくは、どんな大舞台や大研究者の前での発表よりも、子どもの前でのお話を一番大事にしています。アラン・ケイが技術は子どもでも使えるものでなくてはならないと考えたのは、子どものリテラシーを低くみたからでも、子どもを差別してはならないと考えたからでもありません。子どもこそが未来の可能性の中心であり、そのすべてだからです

科学未来館の方には、このワークショップを開催するのに、何度も打ち合わせと準備をしていただくことになり、この特別展で一番力を入れてくださったと後で聞きました。その後、何度か監修の依頼がありましたが不義理をして心痛む状況です。実は、「私的所有の生物学的起源」を本格的な動画として制作するというのをやりたいんですけどね。ええ、池上さんが監修してくれると言ってますし。

無用にかえる

ひとつの旅の終わりは新しい旅の始まりでもある。

いま新幹線の中で、ひとつ前の旅について記している。

6月中旬に、山口で開催された人工知能学会に参加した。池上さんと岡さんが主宰するオーガナイズドセッション「マッシブデータフロー」で発表するためである。

セッションの前日にスピーカー同士で飲んでいるときに、明日のセッションは最後マグノリアみたいにかえるが大量に空から降ってるといいよね、と飲みながら話していたら、かえるさんというあだ名の言語学者が飲み会に乱入してきた。どうやら森田君の知りあいらしく、スペンサーブラウン代数やら、圏論やら、郡司さんやらの話をした。宿にかえって寝ていると、深夜にかえるは大合唱しているし、ユングのいうところのシンクロニシティがあるとしか思えない。

話の内容は、寺田寅彦の「化け物の進化」から始めた。寺田によれば、科学には化け物が必要不可欠である。化け物がなくなると科学の進化は止まってしまう。化け物が生まれては解消し、消え去ることにより新たな化け物が生まれる、この永久運動こそが科学という営みである。寺田の主張をぼくなりにまとめれば、「化け物が分かる科学」と「化け物が見える科学」が永久の振幅運動をするのが科学というプロセスということだ。寺田のエッセイにはないのだが、これに加えて「化け物をつくる科学」というのがある。サイバネティクス人工知能、人工生命、ロボティクス、ARなどの分野がこの系譜にあたるだろう。残念ながら、これらの分野も成熟してきており、科学者のほとんどは化け物をつくる気など毛頭ない。

発表では、化け物をつくる科学のひとつの例として、伝播委任投票システムの話を紹介した。そして胃の集合知投票から森の意識をつくる可能性について話をした。

他の人たちの発表もすばらしくて、吉井さんは複雑系の科学を使って広告システムの分野で実際にマッシブデータをぶん回していて、増田さんはいつも通り絶妙な設定のテンポラルネットワークのモデルを紹介し、岡さんは脳のデフォルトモードネットワークと同様のものがウェブにもあるのではないか、和泉さんは可能世界ブラウザというツールでマッシブデータと向かい合う方法を、清田さんはマッシブデータがビジネスの現場でどう使われているか、廣瀬さんは未来日記というあんまり当たらないけど最後は当たる未来予測で人間の行動がどう変わるかについて話をした。

最後のパネルディスカッションのときに、荘子の「無用の用」がこの日の発表の執拗低音を形成しているのではないかと切り出した。というのは、行きの飛行機で河合隼雄の「昔話の深層 ユング心理学とグリム童話」をたまたま読んでいたからである。その第4章に「怠け者」についての考察があり、荘子がちょうど引用されていた。昔話には、合理的で仕事熱心で周りの役に立つ人が失敗し、怠け者がなぜか一番うまくいって成功してしまうという話が多い。グリム童話「ものぐさ三人むすこ」、「糸くり三人おんな」、「なまけものの糸くりおんな」、「ものぐさハインツ」、日本の「三年寝太郎」、「物くさ太郎」などである。これは昔話を道徳的な説話と捉えると大変奇妙な話である。だがユング心理学風に、働き者と怠け者を、意識と無意識の対話として捉えると分かりやすい。怠け者こそが、意識が抑圧している無意識の願望であり、創造性の源泉なのである。

役に立つという現象は、役に立たない世界のめくるめくまでの豊穣さに支えられている。役に立つことばかりを追い求めてると役に立たないどころか大変な問題にぶちあたり、逆に役に立たないことををしていると結果として役に立つことがある。どうもこれは世界の真理のようで、今回のいくつかの発表でこれに関連する話があった。ビッグデータは役に立つことを目指しているようだが、マッシブデータフローは是非「無用の用」を目指して欲しいものである。

世界や他者を利用、コントロール、制御しようとすればしようとするほど、世界や他者はこぼれ落ちていってしまう。善意をカモフラージュしても無駄で、人間の無意識はどうやら気づいてしまうようだ。これは最近、何人かの人と話していて感じていることである。

学会が終わった後、広島平和記念公園を訪れたが、これが大変すばらしかった。原爆ドーム方面から平和記念公園に歩いて入ってきて、鞍型のモニュメントから原爆ドームを望むとその間に平和の灯が見えるその位置で、たまたま事前知識なしに振り返ったのである。曇天、傘をさすほどでもないかすかな雨の下、夕暮れの原爆ドームに灯がともる光景に、自然と手を合わせざるをえなかった。

霊的な空間を作るのがうまいなと設計者のイサム・ノグチ丹下健三に関心したが、後で説明員に聞いたところによると平和の灯は公園開設後10年後くらいにできたものらしい。もこもこの木とか、最初の設計模型にない要素が後から付け加えられてさらによくなっているというのも、この公園のまたすばらしいところであり、関わる人々の強い想いを感じる。

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翌日は、平和の灯の源流を求めて、空海が開いて以来1200年燃え続ける火があるという、宮島は弥山にある不消霊火堂(きえずのれいかどう)に向かった。照葉樹林の弥山原始林がまたすばらしい。山頂近くに大日堂というお堂があり、誰もいないのでひとりで大日如来にむかって小一時間ほど真言を唱えつづけた。なるほど、お堂にこもるというのはこういうことなのか、あと2日くらいここにいたいという気持ちになった。

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弥山のふもとに大聖院という立派なお寺があるが、ここがまたいい。護摩堂の前でろうそくに願をかけることにした。不意に、ここしばらく望んでいながら決してかなうことがないであろう願いを書いてしまった。いくら無意識とはいえ、決してかなわない願いを書いてどうするのかという思いにもなったが、次の日に護摩堂にまた来ると、ろうそくがあまりにも雄大な形状の跡を残して燃え尽きていたので、大変晴れやかな気分になった。

ふと見上げると、護摩炊きを終えた坊さんが4人の女性にちょうど説法を始めるところであった。その坊さんの笑顔と表情があまりにもすばらしくて、話の中身は聞こえないのにずっと聞いていた。ああ、こんな素敵な表情の人がこの世にいるのかと感嘆することしきりで、すると、声は聞こえないのにだんだん何をいわんとしているのか分かるようになってきて、なんだかとても爽快な気持ちになったのである。あの素敵な坊さんは無用の用を極めた存在に違いない。願がかなおうがかなうまいが、もうどうでもいいなという気持ちになって帰ってきた。以前は、自分の欲望の願をかけるなんて仏教の思想とあわないのではないかと思っていたが、そもそも願をかけるというのは自力ではどうにもならないことがあるということを受け入れるプロセスであり、他力や縁起の入門編なのかもしれないと思うに至った。

帰りの新幹線で、また河合隼雄の「昔話の深層」を読んでいると、第7章にかえるの話がでてきた。かえるは水陸両方で生活するので、意識の世界と無意識の世界を媒介する存在なのだという。旅の最後にまたかえるに出会ったのである。

チューリングの夢(森田真生氏特別寄稿)

今回のエントリーはチューリング生誕100周年特別企画で、数学者の森田真生さん(@orionis23)がゲストブロガーとしてPICSY blogに特別寄稿してくださいました。
アラン・チューリング、その魂の灯火」(鈴木健)と共にお楽しみください。

森田さんは京都在住の独立研究者で、福岡の糸島に数学道場「懐庵」をかまえる他、日本各地で講演活動を行っています。サルガッソーの立ち上げ時のメンバーであり、居候でもありました。彼に数学を習いたい人は、こちらから申し込みできます。

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幼年時代に何らかの理由で強いられた愛の欠乏による不安と孤独が、結果的にその人の中に偉大な数理的感性を育て上げてしまうという場合がある。母と子という、通常の生物学的次元ではかなわなかった交流を、より高次の宇宙的次元で達成しようとするかのように、壮大な数理的構想が企図されるのだ。

ニュートンは生まれる三ヶ月前に父を亡くした。母の方は彼が三歳になったばかりのときに再婚し、新しい夫のもとへと移ってしまい、ニュートンは祖母に育てられた。母に見捨てられた深いトラウマを背負わされたニュートンは「完全に死に根ざした世界観によって、迫り来る狂気を静め」*1 ようとするかのようにして、近代自然科学の基礎を独力でつくりあげた。

両親がともに急進的なアクティビストであったグロタンディークもまた、収容所の中で孤独な少年時代を過ごした。グロタンディークの自伝の中には、幾度も「母」や「母胎」という言葉が出てくるが、グロタンディークが構想したあまりにも広大な数学的宇宙は、あるいは「母」を探し求める旅そのものでもあったのかもしれない。

チューリングもまた、愛の欠乏を強いられた少年であった。チューリングの父はインドに赴任していた行政官で、チューリングは兄とともに、イギリスに住む退役軍人の家庭に預けられた。もともと元気で誰とでも友達になる子どもだったチューリングも、九歳になった頃には、夢想的で非社交的な性格に変わっていたと、後に母は述懐している。*2 生命と非生命、人間と機械という表層的な差異の向こう側に、両者を貫く数理的原理を見出そうとする執拗な情熱は、あるいは失われた母との温かな抱擁を求める、この少年時代の渇望のうちに育まれたのだろうか。

人間の寸法を超えて、宇宙的な想像力へと跳躍するために、人間の尺度における決定的な喪失が、その契機となる場合もある。「人倫を超過する者が人倫の師となる」*3 という言葉があるが、ニュートンにしても、グロタンディークにしても、チューリングにしても、まさに「天地の間にあって、人倫を超過」してしまった人たちだった。

チューリングは確かに機械を愛した。しかし、決して人間を機械に還元しようとしたのでも、人間と機械の区別を無効化しようとしたのでもない。チューリングにとって、機械と人間の区別は、はじめからそれこそ「なめらか」*4 だったのだ。

彼は三歳のとき、おもちゃの船に乗っていた木の人形が壊れてしまい、「こうすればきっとまた生えてくるよ」といって、その人形の足と腕を庭に埋めたことがあった。生命と非生命の表層の区別に頓着しない精神の傾向は、このときすでに芽生えていた。

決して社交的ではなかったチューリングは、気晴らしにひとりで黙々と走るのが好きだった。普段からかなりの長距離を走っていたようで、タイムをはかるのに、腕時計の代わりに腰に目覚まし時計を巻いて走っていたという話もある。彼が1936年の歴史的論文*5 の着想を得たのもまた、ランニングの途中、牧場の草の中に横たわっていたときだった。彼は この論文のなかでヒルベルトの決定問題を解決するために、LCM(Logical Computing Machine)を構想した。このLCMを”Turing Machine”と名付けたのは、1937年の5月に チューリングの論文を読んだチャーチである。

しばしばチューリングマシンは「紙と鉛筆を使って計算をする数学者をモデルにしている」という言い方がされるが、これは若干語弊があるように思う。チューリングの論文には、mathematicianという言葉は出てこない。あくまで紙と鉛筆と時間を資源に計算する人(computer)の計算過程を抽象化したのがチューリングマシンであって、数学者の計算過程をモデル化したわけではない。(実際、数学者チューリングチューリングマシンのアイディアに辿り着く過程は、チューリングマシンに似ても似つかないものだ。紙と鉛筆を使ってというよりは、身体と牧場の草を使って計算をしていたのだから。)

数学者の計算過程により近いのは、チューリングマシンよりも、むしろ1939年に出版されたチューリングの博士論文*6の中で導入された神託機械(Oracle machine, O- machine)の方かもしれない。チューリングはこの論文の中で、神託(oracle)を参照しつつ非決定論的な飛躍をする神託機械の理論的な可能性に(神託は機械的には実現不可能 であるというコメントとともに)触れている。

この論文の中でチューリングは、「数学的な推論は大雑把には直観(intuition)と創造性 (ingenuity)の二つの能力の組み合わせによって実現されていると考えられる」*7 とした上で、数学的推論から直観的側面を一掃することの不可能性を論じている。(数学から直観を一掃する代わりに、むしろingenuityの方を、enumerateされた命題のリストからの探索に還元してしまうことで、ingenuityをpatienceに解消してしまおうということがこの論文の中では議論されている。*8 patience, ingenuity, intuitionというこれら三つの概念についての考察は、その後のチューリングの暗号への関心にも繋がっていった。*9 )

こうした記述からも、チューリング自身が決して万能機械主義者ではなかったこと、人の知性には本質的にチューリングマシンに還元不可能な側面があることを信じていたことが分かる。人間の知性に、チューリングマシンに回収不可能な側面があることを認めた上で、機械と人間の知性をなめらかに接続する夢を追い続けたのである。

チューリングの業績の詳細について議論をするには僕はあまりにも不勉強だが、チューリングのことを知れば知るほど、彼が一貫して世界を「なめらか」に把握していた人であったことが実感されてくる。人間を機械に還元しようとしたのでも、生命を非生命に還元し ようとしたのでもなく、彼は人間と機械、生命と非生命、さらには男性と女性という様々な区別を前にして、常にその表層的な差異の彼方を見つめている人であった。

腰に目覚まし時計を巻いて、長距離を孤独に疾走しながら数学的思索に耽ったチューリングは、心と自然、さらには人間と機械とが、なめらかに接続される日がくることを夢みていたに違いない。

チューリング誕生から百年を迎え、僕らはチューリングの恩恵に与りながら、いまやチューリングが生きたのとはまったく違った環境に取り囲まれている。それ自身決定論的なアルゴリズムに支配されていながら、人間の検索を「神託」として、問いに答えるというよりも、答えに相応しい問いを計算し、膨大なデータの「意味」を計算し続ける検索エンジンはまさにチューリングの神託機械のようであるし、ウェブそのものが、自然現象を神託とする巨大なO-machineを形成しつつある。ここでは、チューリングの意味での計算概念をいかにして超えていくかということが、いかにもリアルな問題になってくる。

それにしても、チューリングという巨大な天才を誰よりも真剣に乗り越えようと格闘したのは、あるいはチューリング自身であったのかもしれない。

そのチューリングを乗り越えようとするならば、表層的な二項対立の彼方に「なめらか」を見つ続けたチューリングの眼差しを、僕らはますます深めていかなければならないだろう。

いつの日か、僕らの心と自然と機械とがついになめらかに接続されたとき、僕らは自分たちの母や恋人とだけでなく、森や川や、さらには鉱物や機械とも、宇宙大の想像力で、温かな抱擁を交わすことになるだろう。

チューリングが乗り越えられたとき、はじめてチューリングの夢は達成されるのである。

*1 『デカルトからベイトソンへ』モリス・バーマン
*2 『甦るチューリング』星野力
*3 『十善法語』不邪淫戒
*4 PICSYブログの読者のみなさまには「なめらか」で通じますよね?
*5 “On computable numbers, with an application to the Entscheidungsproblem”
*6 “Systems of Logic Based on Ordinals”
*7 Mathematical reasoning may be regarded rather schematically as the exercise of a combination of two faculties, which we may call intuition and ingenuity.
*8 We are always able to obtain from the rules of a formal logic a method of enumerating the propositions proved by its means. We then imagine that all proofs take the form of a search through this enumeration for the theorem for which a proof is desired. In this way ingenuity is replaced by patience.
*9 “Turing’s Cathedral” George Dyson

アラン・チューリング、その魂の灯火

科学の世界に英雄はいらない。自然と真理のみが正義である科学にとって、科学の進歩を妨害する英雄史観は、せいぜい子どもたちの夢を育むひとつのきっかけにしか過ぎない。だが、アラン・チューリングという一人の数学者にして科学者が、かくも多くの研究者に感銘を与えるのはなぜだろうか。それは、彼の悲劇の人生とその研究内容がシンクロし、人生の本質的な問題を魂の灯火として仕事することを避けてはならないと励ましてくれるからではなかろうか。

今日からちょうど100年前の1912年6月23日、アラン・チューリングはイギリスのロンドンにて生を受けた。そして42歳で青酸カリによる服毒自殺で亡くなるまでの間に、「チューリング・マシン」、「チューリング・テスト」、「チューリング・パターン」、「チューリング・ボンベ」という4つの大きな仕事を成し遂げた。死亡時のそばの机の上にはかじりかけのリンゴが置いてあり、毒リンゴで自殺したとも信じられている。アップルが社名とロゴをつくるときに、チューリングのかじられた毒リンゴを連想してつけたとも言われているが、真相はスティーブ・ジョブズが語らぬまま永遠の謎となった。

彼はゲイであった。パブリックスクール時代、同性の親友のクリストファー・モルコムに決して受け入れられない恋をした。そして愛するモルコムの若すぎる病死に直面し、魂について深く深く考えるようになったという。彼は1941年に異性のジョーン・クラークに結婚を申し込んだ。彼女はチューリングが同性愛者であることを受け入れたが、チューリング自身がこのままでは結婚できないと引き下がり婚約は解消された。同性愛はその時代のイギリスでは犯罪であった。晩年、彼は裁判で有罪となる。女性ホルモンの投与という治療を受けることによって刑は執行猶予になったが、それが彼の服毒自殺の原因になったという人もいるし、関係ないという人もいる。

1936年、若干24歳のときに発表した「計算可能な数について」という論文は、現代的な意味でのコンピュータの概念を与え、チューリングはコンピュータの父となった。計算する人の心の状態を機械に置き換えることができるのだろうか。後にチューリング・マシンと呼ばれる無限に長い一本のテープと、そのテープを読み書きする単純な機械。チューリング・マシンが恐ろしいのは、他の全てのマシンの動作をまねすることができる計算万能性のある機械を作ることができるからである。これはつまり、マシンの動作(プログラム)そのものを、テープ上に書き記されたデータとして記述することができるということである。現代のプログラマーがプログラムをファイルデータとして書くことができるのも、この計算万能性が支えている。だが、この論文の真の射程はコンピュータが何を計算できないかという点にこそある。チューリング・マシンそのものが停止するかどうかをチューリング・マシンは計算できない。コンピュータの可能性はその限界と共に、世界に投げ出された。

1939年、第二次世界大戦のドイツ海軍の「エニグマ」という当時絶対に破られないと言われていた暗号システムを、チューリングは暗号学者として解読した。これにより、イギリス軍はドイツ海軍の動きを逐次把握することができるようになり、戦況を劇的に変えたといわれている。その解読機はボンベというが、チューリングの功績を讃え、チューリング・ボンベと呼ぶこともある。

1950年、「計算機構と知能」という論文を書き、機械が人間の知能を実現するための検証方法について議論した。この論文で導入されるイミテーション・ゲーム(まねっこゲーム)は、女性が男性の振りをして誰かを騙し続けることができるか、という問題設定からはじまる。これは明らかに、ゲイである彼自身が社会から強いられてきた日常に他ならない。ここから機械が人間のまねをして、誰かを騙し続けることができるかという問題を検討するのである。イミテーション・ゲームは後にチューリング・テストと呼ばれ、人工知能の分野で重要な概念として用いられている。

1952年、「形態形成の化学的基礎」という論文は、生命によくみられる縞のパターンがどのように生まれるかというモデルである。形態形成(誕生してから細胞分裂を通して個体が成長するプロセス)という生命的な現象を、反応拡散系という物理プロセスで説明しようという野心的な研究分野の先駆けであり、チューリング・パターンと呼ばれている。

ぼくらの社会はチューリングの仕事の恩恵を享受しているが、それは別にチューリングが目指したことではないだろう。人と機械の違い、女性と男性の違い、物質と魂の違い、生命と非生命の違い、多くの人々が自明なものとして受け入れる違いに、彼は違和感をもった。一方をもう一方に還元してみたり、やはりそれではこぼれ落ちるものがあると戻してみたりと揺らいでいたようだ。これらは、彼の個人的な問題であると共に、普遍的な問題でもあった。彼は人生にとって人間にとって本質的な問題に悩み続け、そのプロセスから生まれた小さなかけらが、いくつかの論文として残された。研究が結果として役に立ってしまったことを、ちょっとした奇跡として受け止めるべきなのか、逆に奇跡とは常にそうしたものなのか、ぼくには分からない。

科学に英雄はいらない。だが、チューリングに惹かれるのは、この世界に対する違和感を押し殺さずに大事にしながら生きていっていいのだと励まされるからである。
チューリングの論文は美しい。人生に悩み、苦しみ、悔やむ時、その魂の叫びを昇華することができれば、こんなにも美しい仕事ができるのだと思うと、宇宙的な孤独さは紛れ、多少の慰めにはなる。

人間の心は複雑だ。チューリングの想いは誰も分からないし、チューリング自身でさえ分からなかったろう。だから、孤独がこんなことでは解消されないことは、ぼくだって分かっている。だが、その魂の灯火を受け継ぎ、問いを立て続け、揺らぐ思惟をテキストに残すことは決して無意味ではないだろう。

この世界と折り合いのつかないあるひとりの揺らぐ想いに静かに耳を傾けながら、この日、今日という1日をチューリングに捧げた。そしてここに、PICSY blogを復活する。勇気をもって。

サイゾーで「究極の会議」が記事に

梅田望夫さんのブログで「究極の会議」本を紹介してもらった。

どうもありがとうございます。

梅田さんは、

毒舌の小飼弾はブログで

「役に立つ」が「面白い」とは言えない

と書いているが、「面白い」というよりも「役に立つ」タイプの本だな、たしかに。

と書いているが、面白い内容もちょっとだけ触れている。

薄い本だけれど、ちょっとした思い付きで適当に書かれた本ではないし、中身が濃く、じっくり読むと得るところが多いと思う。

といっていただけたのはうれしい。

ぼくが考えているのは、コラボーレーションにおける同期と非同期の問題だ。

これについては、佐々木俊尚さんからサイゾーの取材を受けて、佐々木さんの絶妙なインタビュー能力で引き出されて話してしまった。佐々木さんのブログでも触れているが、今日発売のサイゾーも買って読んでみてほしい。

第四回ライブコーディングはMozilla 24で!

明日、15日の深夜に第四回ライブコーディングを行います。

参加者、ハッカーをお待ちしてます。

「LiveCoding @ Mozilla 24」

概要

LiveCodingとは、ライヴでプログラミングの技を披露し合い、つっこみをいれたりして、その場でソフトウェアを開発する新しい潮流です。すごいプログラマーのスーパーテクニックを生で見て、みんなで盛り上がります。 かなり楽しいです。

第4回となる今回は、ギークが最も活発になる深夜帯が舞台です。数時間にわたるネット・ゲームの開発から、20~30分の短いセッションまで、いくつかのlive codingが予定されています。

腕に覚えのあるハッカーのひとから、すごいハッカーの技をライブで見たい!というひとまで、広く参加者を募集します。プログラマーとして参加を希望される方は、「20分の間にちゃんと動く面白いプログラムを作れる」ハッカーであれば、言語は関係ありません。笑えたり、先進性があるプログラムをライヴで書いて、聴衆を魅了してください。自分の開発環境の入ったノートパソコンと良いアイデアさえ持ってくれば、 OKです!

#また今回はソフトウェア作品《TypeTrace》を使って、その場で叩かれたプログラム・コードのタイピングを記録、再生してみるセッションも行います。

主宰

鈴木健(株式会社サルガッソー)

洛西一周(株式会社NOTA)

ドミニク・チェン(NPO法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)

実況

洛西一周

解説

Dan Kogai

参考URL

LiveCoding

TypeTrace

日時

9月15日(土)23:30PM ~ 9月16日(日) 3:00AM

会場

ベルサール九段 イベントホール

定員

100名

対象者

どなたでもご参加いただけます

参加申込方法

このプログラムには事前にお申し込みが必要です。