イノベーションを進めるためには、大きなレベルで概念という束縛をはずしてやらねばらないときもある。
アラン・ケイのパーソナルコンピュータのパラダイムを超えるものとして、マーク・ワイザーはユビキタスコンピューティングという軸を提唱したが、他の軸はないだろうか。
パーソナルコンピュータは、文字通り個人のためのコンピュータである。個人のためのコンピュータにネットワーク機能を搭載したので、個人がネットワークでつながるという世界観が、技術に埋め込まれることとなった。
しかし、この世界は個人が最初にあって、それがコミュニケーションするという風に成立しているわけではない。最初にコミュニケーションがあって、後で個人があるのである。このことを最初に指摘したのはG.H.Meadらのプラグマティズムであった。
天下り的に説明しよう。この新しい概念にJoint Computerという名前をつけてみた。Jointというのは、「共同の」という意味の他に「同時の」という意味もある。この二つの意味が同時にはいっていることが重要だ。ついでに、「たまり場」、「人が集まる場所」、「飲み屋」という意味もある。すばらしい。何がすばらしいかは、また後で説明する。
1.テレビとPCは何が違うか?
PCは個人のためのものとしてデザインされ、テレビは家族団欒のためのものとしてデザインされている。複数の人が、同時に同じ画面を共有して注視することをアフォードするようにデザインされている。
人はなぜ映画館や劇場やコンサートホールにいくのか。多くの人が同時に同じものを共有することをアフォードするようにデザインされているからである。
2.マウスのボタンが一つ
アップルのマッキントッシュは、マウスのボタンが一つである。これは、単に小さいこどもが使いやすいというだけではなく、小さいこどもの手の上に大人が手を載せてやり、大人が力を加えることによって子供の手を通してクリックすることをアフォードするようにデザインされている。
去年の未踏スーパークリエータの朝倉民枝さんの、「子供が親の膝の上にのって、はじめてコンピュータに触れるときのためのデザイン」の話を聞きながら思った。
3.ペア・プログラミング
ペア・プログラミングは、エクストリーム・プログラミングの一プラクティスで、一つのキーボード、一つの画面を使って二人でプログラミングをするという方法だ。やってみるとわかるが、現在のPCはペア・プログラミングのためにデザインされていない。キーを打っている人が何をしているのかを、サブの人が画面を見て理解するのが非常に困難だ。
4.エクストリーム・ミーティングのジョイントアテンションプラクティス
エクストリーム・ミーティングのコンセプトを、灰色の脳細胞をフルに回転させて考えていたちょうど一年前に、ジョイントアテンションという言葉が脳をよぎった。会議室でプロジェクターを共同注視するというプラクティスを、認知発達心理学のキー概念であるジョイントアテンションで表現した。
幼児の発達の過程で、子供が指を指して親と同じものを同時に見たがる時期というのが存在する。これをジョイントアテンションというが、この現象は、あらゆるコミュニケーション能力の基礎にあると考えられている。
このように、複数の人が
1.同時に
2.同じものに
注意を働かせるということがコミュニケーションの基礎にある以上、そのようなコンピュータを考えていくことはとても重要なのではないだろうか。非同期で同じものを注意させるもの(たとえばグループウェア)や、同時に違うものを注意させるもの(パーソナルコンピュータ)でジョイントコンピューティングを実現しようとしても限界がある。
会社で、会議室ではなくタバコ部屋で重要事項が決まるのも、人が飲み会が好きなのも、カップルは一度は東京ディズニーランドに行かなくてはならないのも、要するにそういうことなのだ。
コミュニケーションは、シャノンの情報理論やルーマンのコミュニケーション論のように「情報化され、伝達され、解釈される」ものでは決してない。コミュニケーションは、ダイナミクスを通して、身体を通して、ジョイントアテンションと心の理論を通して行われる。
ちなみに、ジョイント・コンピュータで調べると、エンゲルバートが1968年に行った歴史的デモはJoint Computer Conferenceで行われている。多分このjointはjointな"computer conference"という意味だと思うが、識者のみなさん教えてください。
ジョイント・コンピュータを家庭に持ち込むと、ファミリー・コンピュータになる。なるほど、だからコントローラが二つあったのか。
ジョイント・コンピュータの面白いアイデアを募集。コメント歓迎。