とりあえずワルラスの経済学体系はこういうことだ

科学技術道徳学
純粋自然科学純粋精神科学または歴史
応用科学精神科学
自然的事実人間的事実
人格と物との関係人格と人格との関係
交換価値産業所有権
社会的富の交換の科学社会的富の生産の科学社会的富の分配の科学
純粋経済学応用経済学社会経済学

ワルラスの主著「純粋経済学要論」第一編をまとめておくと、

このようなことになる。大事な点は4つある。

第一に、ワルラスは経済学を科学と技術と道徳の3つに分けようとしたこと。

この3つを混同することを決して許さなかった。

第二にまず、ワルラスは社会的富を定義する:社会的富とは希少性のあるもの、

すなわち①効用があり、②限られた量しか獲得できないもの、の全体である。

ここで希少性が限界効用に相当し、限界革命が宣言されていることがわかるだろう。

そして、希少性のあるものは、「占有」されうるし、「価値」がありかつ「交換」

され(ここで「価値があるから交換される」といわないところが労働価値説から

限界革命への飛躍なのだ)うるし、産業的に生産あるいは増加することができる。

社会的富の定義が限界革命と経済学の分類を同時に導き出すという、非常にエレ

ガントなロジックが構築されているのである。

第三に、ワルラスは情報財についてはまったく想定していなかった。

「効用があって量において無限なものを占有せられるようにすることはわれわれ

にできることでないことは疑う余地がない」久武訳P36より

第四に、所有権の問題が、社会経済学として必然的に要請されてくるということだ。

GLOCOMセミナーのときに、「新しい社会契約論」の話から白田さんや東さんも

交えて、熱い議論になったが、これは結局、貨幣の問題を考えるにあたって必然

だということだろう。「新しい社会契約論」とかとんでもないことを言っていて

よいのだろうかと悩んでいたが、そういう気持ちも吹っ飛んだ。

ところで、近代経済システムの三位一体説というのをぼくはとなえているが、

市場主義産業主義資本主義

ワルラスの分類とちょうど重なるのはどうしてだろうか。どうしても何も、

ちゃんと考えれば同じ結論にいくということなのだろうか。

なんでワルラスを勉強しているかというと、PICSYの数学的体系とワルラスの一般

均衡理論は酷似しているからだ。