方法序説 第三部より

どこかの森に迷いこんだ旅人たちは、あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、いわんやまた一つの場所にとどまっているべきでもなく、つねに同じ方向に、できるかぎりまっすぐに進むべきであって、その方向を彼らに選ばせたものがはじめはたんなる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、少々の理由ではその方向を変えるべきではないのである。

ルネ・デカルト

人気番組をつくるのであれば、それでもいいかもしれないが、おおよそ100年の思想を打ち立てる気があるのであれば、ある種のデカルト的な生き方も必要である。

近代的自我を実在論として捕らえるのであれば、誤謬とのそしりを免れないが、奇跡的な現象として捕らえれば、それはそれは大した便利な道具である。

むしろ、自らを歴史上の統計的な存在として投機すれば、すばらしいものをつくりだすためにまっすぐ走り続けることは、何のリスクでもなくなる。

本人にとってはまっすぐ走っている気でも、他者からみれば、ふらふらと酔ったように歩いているに過ぎない。それはそれとして、それはそれとして。