いままで3回にわたって、経済面(あるいは外部経済面)から会社を見てきました。
今度は組織として会社をみていきましょう。組織というのは、みんながまとまって動くわけですから、ばらばらに動くわけにはいきません。もちろん、ばらばらにやってもいいのですが、だったら最初から組織つくらなくてもいいわけです。
つまり、組織には「意思決定」というのがあるわけです。意思決定されたからには、反対意見の人も従わなければなりません。反対意見の人が従わなくてもよいのであれば、意思決定してもしなくても同じなので、組織を作る必要がありません。
組織が、ある行動を意思決定するということは、他の行動を行うことを排除することにつながります。これを意思決定の排他性とよぶことにしましょう。
また、一度意思決定をしたら、それほど頻繁に変更してはなりません。頻繁に変更しているということは、何も決めていないのと同じだからです。これを意思決定の一貫性とよぶことにしましょう。
意思決定の排他性と一貫性は、ある種ひどい話に聞こえますが、排他性や一貫性がないよりもうまくいくことが多いので、歴史的に生き残ってきました。
さて、問題はどのようにして意思決定をするかです。一つの方法は、意思決定をする権利を持っている人が集まって、直接議題に対して投票をすることです。これを直接民主制といいます。もう一つは、代表して意思決定にあたる人を選挙などで選ぶ方法です。これを間接民主制といいます。
商法上、会社の所有権は株主がもっており、株主比率に応じて議決権をもつものとされています。彼らは、重要な意思決定に関しては株主総会で直接民主的に決め、それ以外については取締役を選任し、取締役会に一任します。まあ、なかなかバランスのよい制度です。
ちょっと一つ大事なことを忘れていませんか?
そうです。会社も会社の株をもつことができるんですよね。では、会社Aの株をもっている会社Bの意思決定はどうなるの? その会社Bも別の会社Cから株をもっていられた場合はどうなるの? これがずっと連鎖していたら?
こういう面倒くさい状況を外から見て分かりやすくするためのものが連結会計という制度で、日本では最近取り入れられました。連結会計によって、実質的に支配している会社群単位で、財務諸表を見ることが可能になったのです。
でも、これだけでは問題は解決しないんですよね。
世の中には、民主主義のパラドックスと呼ばれているものがいくつかあります。アローの一般可能性定理や、民主的手続きによって民主制を転覆可能かというワイマールドイツ問題などなど。
今回は、そのうちの一つを紹介しましょう。
意思決定をするのに、過半数という不思議な数があります。なんで不思議かというと、民主的な投票手続きには必ずでてくる数字で、無根拠な気がするんだけど、よーく考えると参加者に納得させるにはこれ以外の方法がないんですよね。小学校のころからずっと不思議でした。
まあ、その不思議さはおいておいて、過半数を獲得すると、その集団で意思決定をすることができるようになります。では、日本の意思決定権を握るのに、日本の参政権を持っている人の過半数が必要なのでしょうか。
総理大臣を実質的に決定する自民党総裁選挙では、議員票以外に300票が自民党院に割り当てられます。でも、自民党員って150万人しかいないわけです。
これってどういうことなのでしょうか。
たとえば、日本の参政権をもっている人が1億人いたとしましょう。そのうち、5000万1人の票を固めればいいのです。5000万1人を毎回固めるよりは、5000万1人の集団をつくり、そこで意思決定をして5000万1票を統一化して同じ候補に投票するほうが楽そうです。ここで、必要な票は2500万1票になります。同じように、2500万1票を固めるよりは1250万1票をまとめるほうが楽そうです。
同様にして、意思決定集団を階層化すれば、最終的には一人の人が民主的な投票を通じて意思決定が可能になります。
現実には、実質的に死票化したことに気がついた人たちが文句をいうので、いかにして巧妙にそのような階層化を隠蔽するかが現実の政治ではポイントになります。
これと同じことは、会社でもいえます。会社の場合は、議決権が株式に比例して配分されていますから、資本金で考えればよいことになります。原理的には、資本金が1円しか出資していない人が、何兆円もの企業の意思決定を握ることができることができることになります。
というわけで、会社を誰が意思決定できるのかというのは、そんなに単純な問題ではないことの例を、みてきました。次回は、よりリアリティのある持ち合いと資本主義の関係について紹介したいと考えています。