池上研では、「くるってる」というのは誉め言葉です。たとえば、オットー・レスラーはくるってるので、誉められます。フランシスコ・ヴァレラとか、ロバート・ローゼンとかもまあまあくるってる扱いされているようです。逆に少しでも狂ってない場合は、「トリビアル」とか「ふつー」といわれてしまい、もう話のネタにさえなりません。
池上研では、「くるってる」といえば必ず誉めているかというと、必ずしもそうではありません。「本当にくるってる」という表現があって、「それじゃー、本当にくるってるじゃん!」のように使います。
登山家のますもとさんなら、きっとこういうことでしょう。「左に落ちればふつー、右に落ちれば本当にくるってる、という狭い尾根をぎりぎりのところでわれわれは歩まねばならない」
しかし、これにも例外があって、くるってる人達の中でも高みに達している人のことを指して、「彼は本当にくるってるなあ」としんみり言うときは、最上級の誉め言葉なのです。
池上研のゼミでは、これらのジャーゴンが飛び交うので、慣れるまでは何が話されているか理解できません。1年生の人は早く覚えるようにしましょう。
この「くるってる」という表現が特に好きなのは、池上さんの他にサンタフェの佐藤さんがいます。くるってる人の話をしているときは本当に楽しそうです。
なんて話を言語学者のunoさんと話していたら、梅田さんのブログに「オープンソースと狂気」についてのエントリーがありました。
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050514/p1
MITのOpenCourceWareの日本版についての話題で、
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20083516,00.htm
東京大学など日本の主要6大学は、講義のシラバス(講義概要)や講義ノートといった講義情報をウェブサイトを通じて無償で公開した。これはマサチューセッツ工科大学(MIT)が2002年9月から開始しているOpenCourseWare(OCW)という規格に準拠したもので、MITではすでに1100もの講義で使われる教材や講義内容を公開している。講義情報を公開したのは、大阪大学、京都大学、慶応義塾大学、東京工業大学、東京大学、早稲田大学で、これら6大学は日本OCW連絡会を組織し、MITとの連携を強化して成果を公開していく予定だという。連絡会の事務局は慶應義塾大学に置かれる。
OCWはいわば大学の講義教材のオープンソース化である。誰もが有名大学で使われている教材を目にすることができ、その教材を使用できる。ただし、非営利でかつ教育目的に限って、という条件はつく。たとえば、MITの場合では、OCWとして公開した教材(もちろん英語のもの)が、第三者の手によって他の言語に翻訳されて活用されているケースもある。教材の質が十分でない発展途上国などで使用されているケースもあるという。
梅田さんは、MITのOCW担当者がくるってないという話を展開し、以下のように言っています。
こうした企業群を特徴づける共通項は「狂気の継続」なのである。ただこの「情報のオープンネス」ということにまつわる狂気は、これまでのこうした企業群が示した「世界を変えてやる、それとともに会社を大きくしてやる」というような比較的わかりやすい狂気とは違ったタイプの狂気を必要とするのではないか、という気がするのだ。
オープンソースといえば、リチャード・ストールマンはくるってますが(たぶん、フリーソフトとオープンソースは違うと怒られます)、FTEXTの吉江くんもくるってます。5000問の問題と解答を5年間かけてTexで打ち続け、なんと教科書まで書いてしまいました。日本のクリエイティブ・コモンズは吉江くんに期待です。
ぼくの周りにはくるっている人が何人かいますが、とても少ないのでたいへん心細い限りです。くるっている人のことを話すのは好きなようですが、自分がくるうのは勘弁なようです。評論家ばっかし。みんなもっとくるいましょう。
先日、ガンジーの映画をみましたが、彼はくるってました。
最近、若人と飲むと、古典を読むように勧めます。その理由のひとつとして、現実世界にくるってる人は少なく、特に若人は直接彼らと話す機会は少ないので、くるってる人と対話をする時間は古典を読むことによって得られるからです。