文科省の指導要領に少ししか準拠していない高校教科書
FTEXT 数学Aの出版前レビューをしている。
昨日は第三章の「場合の数」だったのだけど、これがまた気合が入っていた。吉江くんの心意気が感じられる章だった。数学的な物語としても面白いものだから、一気に読んでしまった。高校数学を一度終えてしまった人であっても、もう一度楽しく読めるだろう。
「場合の数」は、高等数学では、数え上げ組合せ論(Enumerative Combinatorics)という分野になるのだが、「場合の数とは写像の数である」というのが、現代的な解釈である。古典的な数え上げ組合せは全て、(単射、全射、全ての写像)×(集合Aの元に区別あり、区別なし)×(集合Bの元に区別あり、区別なし)の12通りに分類可能である。これを写像12相という。
がこの立場で書かれており、FTEXT 数学A「場合の数」はこの本を底本として書かれている。
FTEXT数学Aでは、「場合の数」を集合論から展開するために、第一章でしっかりと集合を議論する。そして、集合の直積もまた集合であるというところから、写像の数を数えるということが可能になる。
日本の高校の教科書は、各分野を疎結合にするというポリシーで書かれている。
これはある種の配慮の賜物なのだろう。というのは、ある科目が苦手な生徒が、その知識を使わなくても別の科目では勉強できるようにするためだ。だから、せっかく高校数学で微積分を習っても、物理で運動方程式を微積分を使って勉強するのは大学以降となり、微積分を習って何が楽しいのかも、ニュートンの偉大さもわからない。
これは数学というひとつの科目の中でも同様で、既存の教科書における集合と場合の数は、FTEXTの試みほど密結合していない。(誤解なきように言っておくと、FTEXTは疎結合な解法もすべて載せている)
高校で疎結合だった諸科目は、大学に入ると一気に体系化されて議論されるようになる。数学は集合論をもとに全てが展開されることになる。
以前、中高一貫校出身のある知り合いから、高校時代に1年間ユークリッド幾何学を公理から証明していくという授業があった、という話を聞いたことがある。
数学の醍醐味はその体系性にある。
吉江くんのやろうとしていることは、数学だけではなく"数学"を教えようというメタ学習への試みなのに違いない。
教科書としての体裁を保ちながら、これだけ高度な内容をいれ、かつ受験にも対応するという困難な仕事をしている吉江くんには、本当に頭が下がる。
FTEXT 数学Aの出版前レビューをしてくれるという人がいれば、ご連絡ください。