「ウェブ進化論」考 1.革命を論ずる土壌の出現

梅田望夫さんの文章は、CNETブログのころから愛読していたので、あらためて新しい発見というのは少ない。このように初読にして再読であったにも関わらず、この本は熱い気持ちを呼び起こしてくれる。良書とはそのようなものである。

梅田さんが目指したのは、二つの孤立した島に橋をかけることである。

60代と20代

リアルとネット

PC側とサーバー側

この3つを、「こちら側」「あちら側」という表現で乱暴にまとめることによって、いまネットで何か起きているのかをネットを使わないエスタブリッシュ層に向けて発信する。

そこで用いられているのが「驚きという文体」である。ギークアーリーアダプターにとってはすでに当たり前になっている概念や事例を、読者と一緒に驚いてあげるのだ。「なんだまだ知らなかったのか」といいたげなギークにはとても真似できない芸当である。

こうしてこの本は20万部を売り上げた。この効果は大きい。

日本史上はじめて、ネットバブル期のIT革命論(生産性の向上)ではなく、情報革命論(文明やライフスタイルの変容)が、一部の知的活動に従事している者だけでなく、一般の人々に浸透したからである。ぼくのような仕事をしている者にとって、この状況は、願ってもかなえられないものと考えていた。

革命を論ずる土壌が生まれたのである。

梅田本は革命を論ずる土壌を日本に生み出したという前提にたち、この後何回かにわたって、「ウェブ進化論」をネタに「本当の大変化」について論じようと思う。

さて、その前にこの20代=60代という世代論について、一つだけリマークしておこう。

ぼくは、展示会やセミナーなどを通じて、伝播投資貨幣PICSYについて、いままで3000人ほどの人に説明してきた。そのときの反応からみると、60代、70代の年配の方のほうが、20代、30代の若者よりも理解度が高い。

このときのことは、ringoがブログにこのように書いている。

今日は、午前中、

IPAX

に行って、PICSYの展示を手伝った。

PICSYは、現在の貨幣の問題点を解決しようとする、

100年~1000年先を見据えた、

誤解を恐れずに言えば女性がまったく興味を示さないタイプのプロジェクトだ。

で、その展示には100人以上いろんな世代の男性(わずかの女性と)がきた。

そこで人間観察をして思ったのは、

いま、いちばん頭が固いのは、30代の青年ではないのか?

ということだ。

老人と話をしていて衝撃だったのは、彼らにとっては、

僕らが人生の大前提としている資本主義とか、民主主義とか、治安とか、

意思決定の基礎に置いてるものが当たりまえのものではない、ということだ。

だから、経済の根幹にかかわる大改造とか、

価値観を根本的に変える必要のある提案をしても、

30代の人なら「そんな無茶な。できるはずない。」

と言って終わりになるところが、

「へぇ、で、それはどんな風にやるの?」となる。

日本の政治、経済のしくみを作ってきた人たちと、

作られた後に産まれた人たちとの差は、あまりにも大きい。

ひとりの老人が、鋭くもこういう事を言っていた。

「同世代の人に説いてまわるより、子供に説いてまわるほうがいいよ。」

そうか、なるほど、うーむ、知恵とはこういう事をいうのだ。

彼はさらに、「子供用に、伝播投資貨幣を学べるゲームを作ればいいのでは。」

とも言っていた。

これを発展させると、たとえば中国とかで説いてまわるほうが、

日本でやるよりも効率よく広めることができるかもしれない。

経済の大前提みたいなものを、いままさに作っている最中の国だからだ。

今日、手伝いにいって得たものは、果てしなく大きい。

一億総懺悔や天皇人間宣言を目の当たりにした人々は、どんな社会システムも固定のものではなく変容するべきものであることを身体的に理解しているのである。

梅田さんとは逆に、ぼくは同世代のネット業界の人々や大学生と話すと、そのあまりにも体制迎合的で短期的な視野に、ある種の絶望的な気分になるのである。たとえばぼくは「キャリア」という言葉が嫌いだけど、その意味を理解してくれないのだ。

ぼくとringoはこうしてこの老人の知恵をお借りして、伝播投資貨幣を子ども向けに遊べるようにして、PICSY×gumonjiのワークショップを去年の12月にICCで開いた。残念ながら子どもの参加者は数人だったけれど、こうしたアプローチは今後も続けていきたいものだ。

アラン・ケイが子どもにこだわり続ける理由がよくわかる今日この頃。

それでも不特定多数のまだ見ぬ人々に向けて、このブログを発信し続けよう。