梅田望夫は、次の10年の三大潮流として、インターネット、チープ革命、オープンソースの3つを挙げ、その上で次の三大法則があるという。
第一法則:神の視点からの世界理解
第二法則:ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
第三法則:無限大×ゼロ=something
今日はこの第一法則について論じてみよう。
「神の視点」として、梅田さんは2つの例を挙げている。
第一法則の「神」の視点とは、「全体を俯瞰する視点」のことである。たとえばインターネット事業者と顧客の関係で考えてみよう。ネット事業者とは、顧客一人ひとりに対してあるサービスを提供する存在である。ヤフーはメディア的な情報サービスを、楽天は商取引や金融サービスをそれぞれの顧客に提供する。これがネット事業者に対するごく普通の理解である。しかし同時に、こうしたネット事業者は100万人単位とか1000万人単位という、ほぼ不特定多数無限大と言ってもよいほど厖大な量の顧客が、「そのサービスを利用して何をしているか」についての情報(誰が何をいくらでいつ買ったか、どんな記事を読んだか・・・)をすべて自動的に収集できる。情報収集コストや情報保存コストが限りなくゼロに近づき、厖大な情報を処理するコストも下がってきたため、収集して保存するだけでなく、「全体を俯瞰する視点」でその顧客世界「全体」を丸ごと分析し、「全体」として何がおきているのかを理解できるようになった。
別の例で考えてみよう。検索エンジンというのは、検索したい言葉をユーザが入力し、結果としてその言葉に適した情報のありかが示されるサービスである。これが顧客の利便性という視点からのごく普通の理解だ。しかし同時に検索エンジン提供者は、世界中のウェブサイトに「何が書かれているのか」ということを「全体を俯瞰した視点」で理解することができる。そしてさらに、世界中の不特定多数無限大の人々が「いま何を知りたがっているのか」ということも「全体を俯瞰する視点」で理解できるわけだ。
実際に、googleのPageRankは、彼らがクロールしているウェブ全体をサーバーにいれて、そのリンク関係から各ページの重要性を計算している。これは全体を俯瞰する視点といえなくもない。
逆に、ヤフーや楽天のデータも全体も検索エンジンの中に入っており、その中においては確かに全体をを俯瞰する視点をつくることができる。
神の視点とは、このようにローカルな環境におかれたグローバルな検索エンジンの存在に他ならない。ローカルという一点(神)から、グローバルという全体を俯瞰するのである。
では、グローバルな環境におかれたローカルな検索エンジンは可能なのだろうか。
それは、「本当の大変化」にならないのだろうか。
そもそもウェブのはじまりは、Apacheなどのウェブサーバーが分散環境にあり、URLを通じたハイパーリンクによって緩く連携するシステムであった。ハイパーリンクは弱い検索の一種であり、「グローバル環境」「ローカル検索」はウェブというシステムの源流だったのだ。しかしその検索性の弱さ故に、Googleのような強い検索が人々に要求されたのである。(ハイパーリンクは紙よりもはるかに強い検索である)
こうして見ると、ハイパーリンクより強く、Googleよりも弱い検索エンジンにこそ、ウェブの未来があるかもしれない。
グローバルな環境におかれるとはすなわち「分散検索」であり、ローカルな検索エンジンとは決して全体を知りえない検索エンジン=「パーソナライズ検索」である。
パーソナライズ検索は、神の視点ではなく、人の視点をもたらす。分散SNSとパーソナライズ検索が組み合わせは、Web 4.0の世界を切り開くことだろう。
【検索とは何か】検索の本質は世界の距離を測ることにある。
検索とリコメンデーションとフィルタリング、ハイパーリンクは、その意味で区別できない。
たとえば、クエリーフリーという検索パラダイムがある。普通の検索が、入力フォームにキーワードを入れて検索ボタンを押すのに対して、たとえば文字を入力する先から、Web全体から検索した結果を表示することなどができる。このような無意識の検索は、IMEの入力補完などによって、すでに実用化されているのだが、これを検索だと気づく人は少ない。
同様に、ハイパーリンクをダイナミックに検索することも可能だ。はてなのオートリンクは、ハイパーリンクを準動的に生成している。性能の問題さえ気にしなければ、検索結果の選択も含めて完全に動的にすることだってできるだろう。通常の静的なハイパーリンクは、最もシンプルな検索である。このことは、ハイパーリンクのオリジナル論文である、ヴァネバー・ブッシュの"As We May Think"にも指摘されている。
ある文字列と最も近い距離のドキュメントを作者が指定するのがハイパーリンクである。距離の近い順に全て列挙すれば検索と呼ばれ、距離の近い最初のいくつかを絞って表示すればリコメンデーション、距離が遠いものすべてを削除して表示すればフィルタリングと呼ばれる。
しかしこれらはすべて、世界の距離を計算していることに他ならない。あとはユーザ・インターフェイスによって呼ばれ方が異なるだけだ。検索エンジンを設計することとは、世界の距離を設計することである。
SNSは、現在はmixiやmyspaceのようにサーバー集中型だが、原理的にはブログの付属のような形で実現可能である。実際に、Affelioのような分散型SNSが登場している。
一方で、SNSは世界の距離を計算している。有名な"six degrees of separation"も世界の距離についての分析だが、SNSのマイページに表示される「友達の新着日記」は、Googleにかわる新しい世界の距離の計算方法なのである。ハイパーリンクと同様に「友達の新着日記」は検索だと気づく人は少ない。
こうしてみると、分散検索とSNSの握手は歴史的な要請であるように思える。
われわれが開発している「なめらかなメッセージングを実現するRSSリーダー」は、その実験のひとつである。(ちなみにこれについては、梅田さんの前で2年前にプレゼンをしています。そのときの梅田さんのレポはこちら。本論がまったく触れられていません。)
Web 4.0は、決して技術的なパラダイムシフトにとどまらないだろう。人類が世界を認識する仕方そのものを根本的に変えるのである。日本の優秀な技術者は分散検索エンジンの研究をしてほしい。ぼくはウェブの未来が「なめらかな社会」のメディア的実現にあると信じてやまない。
「神の視点」は、なぜ打ち砕かれるのか。そもそも、そんなものはニーチェによって殺されたのではないか。
神の視点とは、所詮はメインフレーム論の生まれ変わりである。
しかし現代によみがえったメインフレームは、しばしの間、隆盛を極めることだろう。
次回は、インターネット上に実現するメインフレーム Web 3.0について論じよう。