いざ戦慄せよ、わが同志

要するにあらゆる化け物をいかなる程度まで科学で説明しても化け物は決して退散も消滅もしない。ただ化け物の顔かたちがだんだんにちがったものとなって現われるだけである。人間が進化するにつれて、化け物も進化しないわけには行かない。しかしいくら進化しても化け物はやはり化け物である。現在の世界じゅうの科学者らは毎日各自の研究室に閉じこもり懸命にこれらの化け物と相撲(すもう)を取りその正体を見破ろうとして努力している。しかし自然科学界の化け物の数には限りがなくおのおのの化け物の面相にも際限がない。正体と見たは枯れ柳であってみたり、枯れ柳と思ったのが化け物であったりするのである。この化け物と科学者の戦いはおそらく永遠に続くであろう。そうしてそうする事によって人間と化け物とは永遠の進化の道程をたどって行くものと思われる。

 化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。宇宙は永久に怪異に満ちている。あらゆる科学の書物百鬼夜行絵巻物である。それをひもといてその怪異に戦慄(せんりつ)する心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。

寺田寅彦化け物の進化」より

以前にも取り上げた文章ですが、また別のところを引用しました。

先日、国立科学博物館で、化け物の文化誌展をしていたので行ってきたら、壁に上記の部分が大きく描かれていました。

時間がなかったので、南方熊楠の粘菌に対する情熱と、お気に入りの生物多様性霧箱をみて帰ってきました。これで500円は安いなあ。