病気と薬と処方箋

 世の中のイシューというのには大きく分けると2つの種類のものがある。ひとつは病気で、もう一つは薬だ。問題と解決法だといってもよい。たとえば、汚職問題は病気(問題)で、地方分権は薬(解決法)だ。一般に、病気のほうが議論が簡単で、薬のほうが議論が難しい。問題空間と解決法空間は、必ずしも1対1に対応しているわけではない。ひとつの薬は、ある問題に対しては効果があるけれど、別の複数の問題に対して、悪い副作用をもたらしてしまうことがある。

 医者が処方箋を書くように、政治家や行政官はある問題に対してどのような薬のセットを処方すればいいかを考える。だから、よい処方という概念は成立するが、よい薬という概念は成立しない。食生活と一緒で、バランスの世界なのだ。

 けれども、ある種の病気を治すためには、ある種の薬を当てなくてはいけない。そのとき、メインの薬をシステムと呼ぶと、メインの副作用を抑えるための薬をサブシステムと呼ぶことがある。たとえば、民主主義をメインシステムとすると、間接民主制や政党政治はサブシステムだ。資本主義をメイン主義とすると福祉主義はサブシステムだ。

 なぜこのようなことを言うかというと、昨日のロージナ大飲酒会でのPICSYの発表で、一部の人たちから、社会的弱者が生きていけなくなるという反論を受けたからだ。こういう、「交通事故が起きるから自動車を売るな」的な意見を言う人につける薬がないものか、考えあぐんでいる。一度、社会にでて、管理職としてプロジェクトをまわしたり、行政官として政策立案してみたり、お医者さんになって患者をみたり、体で覚えないとだめなんじゃなかろうか(社会に出ても管理職やらないと分からないかもしれない)。

 それでは、社会的弱者について、どのようなフォローが可能なのかについて、説明してみよう。社会的弱者にもいろんなタイプがいるが、質問ででたのは、障害者のような人はPICSYでモノを売ってもらえないのではないかという点だ。

 第一に、PICSYでは、取引時の貢献度よりも上がるか下がるかという点が重要だ。取引時点で、今後貢献度が下がることが確実な場合は、取引拒否か価格のすり上げをされてしまう恐れがあるが、その時点で貢献度が低いからといって取引拒否されてしまうわけではない。だから、障害者だから将来の貢献度が下がるという推論は成立しない。よっぽどいろんな情報を収集しないと、判断できないに違いない。

 

 第二に、取引の種類によっては取引コストが高すぎて、フィルタリングすることはできない。世の中にはいろんな事業主がいるが、顧客数という点で考えると、3つのカテゴリーで考える必要がある。下請け企業や部品製造会社のように数社と取引をするような会社(一桁)、企業向けソフトウェアのように数百から数千と取引する会社(三桁)、ラーメン屋のように数万から数十万の人と取引する事業(五桁)、である。このうち、一桁系の企業は、いまの貨幣でも、取引相手を十分に選定しているはずで、PICSYにしたから差別が起きるような種類のものではない。逆に五桁系の企業は、差別をするフィルタリングコストのわりに単価が低いので、わりが合わないだろう。そういう点で、三桁系だけが比較的議論の対象となる。

 第三に、金をもっていない人を取引拒否すると市場を狭める結果になるのと同様、将来のことを考えて差別すると市場が狭くなる。たとえば、映画や飲食店で女性のほうが安いのは、女性を安くすることによって、金をもってる男に一緒にきてもらおうとしているのである。障害者を差別して、取引拒否をしたら、一緒にお金を落としてくれる人さえ失ってしまう。

 

 第四に、消費者が強い世界では、多少目減りする価格でも売ったほうが利益がでる。現代の社会では、供給ではなく需要が経済を決定する。限界費用までは、価格を下げても新たな顧客にモノを売ったほうが儲かるのと同様、目減りする可能性が多少あっても、売ったほうが儲かる。

 

 第五に、差別をすることが、事業の評判を落とす。昨今の事件をみても分かるとおり、差別などをしたら、会社をつぶすことになりかねない。そんなリスクをかかえられる会社はあるのだろうか。

 第六に、相手を選ぶことによってクリティカルに影響がでてしまう保険会社とほかの会社は違うということだ。

 第七に、PICSYではナショナルミニマムを設定することができる。

 

 第八に、PICSYでは、ほとんど伝播しない取引(決済貨幣的取引)をすることができる。

 

 第九に、社会的弱者を救済するサブシステムについては、ぼくが論じる資格がないほど様々な方法が考えられている。それはPICSYでもSECSYでも変わらず適用できる。(というよりも、それができるようにすることがPICSYのゴールの13番目だ)

まあ、ほかにもあるだろうけど、長くなるから、次に、PICSYから抜ける自由がなくなるという点だ。

 第一に、PICSYは決済貨幣と共存すると思う。なぜなら、決済貨幣は資産の延長としての貨幣だが、PICSYは資産ではないからだ。資産という概念はなかなか消えることはないと思うので、SECSYが消えてしまうことはないと思う。ただ、どっちが主流なのか入れ替わるということがあるだろう。僕は基本的にはマルチ貨幣主義者だ。だから、PICSYから抜ける自由は存在する。

 第二に、現時点でほとんどの日本人は日本円から抜ける自由がない。だから、PICSYから抜ける自由が実質的にないとしても、それは日本円から抜ける自由がないのと実質的に同程度だ。

たぶん、こういう批判をするのは、貨幣自体がきらいな人なんじゃないかと思う。だって、貨幣ってシビアな世界だからね。PICSYもSECSYも嫌いだから、何を言っても無駄なんじゃないかとも思う。ぼくもどちらかというと貨幣嫌いだから、気持ちは分かるんだけど、大人じゃないよね。

お願いしたいのは、薬について話しているときに、処方箋(ポートフォリオ)について質問しないでほしいということだ。議論が散漫となってしまうからね。もっと重要な論点があるんだけど、みんなはどうして質問しないんだろう。たとえば物価とか。

まあ、ぼくの説明が下手くそなのがいけないんだけどね。PICSYのゴールから話を始めればよかった。主催者もきっとそこを期待してたんだと思う。