岩井克人「会社はこれからどうなるのか」を読んだが、非常に面白かった。と、書いてみるとさほどでもない気がするのが貨幣論と一緒だ。
この人の本は、とっても当たり前のことからはじめて、二つの対立する概念をマジカルに両方とも証明してしまい、最後は現実にあてはめるというところがおんなじだ。というわけで山場は第四章で、ここが一番面白い。
そうか、PICSYは法人唯名論的な立場だったのか、と気がついた。やっぱ情報財に向いているという直感は正しいわけだ。
あと、共有でも公有でも私有でもない概念として、三井十一家の財産所有法を安岡重明が総有と名づけたという話がでてくる。十一家の財産は分与されず、大元方という一箇所に集められ、配当がそこから配られるという。そういう意味ではPICSYって総有的だ。でも株式会社も総有といえば総有なんではないだろうか。
でも、岩井さん、違うんです。PICSYって持ち合いなんです。止揚しちゃってすみません。
備忘録のために、本の内容をまとめておこう。
第二章
ヒトはモノを所有できるが、モノはヒトを所有できす、ヒトはヒトを所有できない。法人はヒトから所有されるという意味でモノであり、モノを所有するという意味でヒトである。法人は契約の安定化のためにある。
第三章
古典的企業のオーナーと経営者の関係は委任契約だが、株式会社の経営者は医者や弁護士のような信任義務がある。
第四章
法人名目説と法人実在説はどちらも正しい。法人名目説はM&A、法人実在説は持ち合い。持ち合いによって、法人は何人からも支配を受けないヒトとなる。
第五章
会社の資産には物的資産と人的資産があり、人的資産には汎用的人的資産と組織特殊的人的資産(組織と人間の関係性において初めて成立する資産)がある。組織特殊的人的資産に安心して日本のサラリーマンが投資をできるように、乗っ取りを防ぐために持ち合いがある。
第六章
いわゆる1940年体制は日本型資本主義のきっかけのひとつかもしれないが、GHQによる財閥解体こそが大事。でも、本質をたどると日本の「家」制度にさかのぼる。欧米中韓では血のつながりが重視されるが、日本では家名という名前が大事だった。
第七章
資本主義は差異を求める。産業資本主義の時代には日本的資本主義は強かったが、IT革命、グローバル化、金融革命のようなポスト産業資本主義では、アメリカ型のほうが強い。なぜなら、情報は差異こそが全てだから。カネの力は相対的に弱まっており、ヒトの力のほうが強くなっている。