先週は教材開発集団FTEXTの合宿があって、高校数学を久しぶりにやった。FTEXTのリーダーの吉江くんとは大学時代の友人で、心の師のひとりである。あいかわらず高いレベルのコミュニケーションを実践していて、頭が下がる。
合宿中、ユークリッドの「原論」は世界第二のベストセラーだという話を吉江くんがしたので、そんなことはないと言ったら、「フェルマーの最終定理」という本をその後すぐ読んで、「今世紀に入るまで聖書につぐ世界第二のベストセラーでもあった」(P77)という記述をみつけた。(仏典とかコーランとかどうなっとるんだろうか)
すみません。吉江先生。わたしが間違えておりました。
原論は2000年間、教科書として使われ、ぼくらの世代より15年ほど前は日本でも原論っぽい教科書で幾何学を教えていたらしい(吉江談)。
ちなみに、この「フェルマーの最終定理」という本はすばらしい数学史の本になっていて、ぜひご一読をお勧めする。どうすばらしいかは松岡さんも書いている。
確かに中盤のカントールやヒルベルトのあたりは、フェルマーを論じるには脱線ぎみなのだが、現代数学がどういう世界に突入しているのかを見せるにははずせない。この著者がすごいのは、フェルマーを通して数学の通史をみせてしまい、それにほとんど違和感を感じさせないことだ。
ワイルズは、結局、谷山-志村予想(の一部)を証明することによってフェルマーの最終定理を証明するのだが、谷山の若くしての自殺がガロアの決闘と同等以上の悲劇として描かれている。後半のクライマックスでは、数学者たちのe-mailを毎ページのように引用して、生々しさと緊張感を盛り上げ、ワイルズが、啓示を受け、岩澤理論ですべてのリングをつなげるくだりに至っては、体が震えるような感動を覚える。
数学的に面白いのは、1986年にフライとリベットが谷山-志村予想とフェルマーの最終定理を接続するまでは、フェルマーの最終定理は、難解なパズルだと考えられていたことだ。
というわけで、啓示がきたので、吉江先生と群論の勉強をすることに決めた。
さて、この本の著者、サイモン・シンは物理学者で、本の最初で数学と科学の違いについてしつこく論じている。その考えは、科学者として非常にまっとうな考えで、100人の物理学者に聞いたら100人が同意するに違いない良識である。
しかし、ぼくは数学が科学にバインドされるかもしれないと思っている。これはきわめて危険思想であることを自覚しているので、blogレベルでしか書けない。問題はuniversalityとobjectivityを我々がいままで区別していないことによって生じているのではないだろうか。そして、universality->subjectivity->objectivityと、現象学的視点によって二つの概念を分離することによって、数学がobjectivityの領域であり、物理法則がuniversalityの領域であると考えられるのではないだろうか。認知として数学を見る(数学者の脳を見る)ということはそういうことであり、われわれはobjectivityを通してuniversalityを探求するのだ。
ともあれ、数学者は偉いな。