チョムスキー「二十一世紀の言語学」

土曜日に言語学の研究会があって、チョムスキーの2002年のインタビュー「二十一世紀の言語学」の第二章と第三章をまとめて発表した。参加者は、駒場の認知言語の人たちと池上研の人たち、あわせて14人ほど。

今回、読んで良かったのは、ぼくのチョムスキー観が140度くらい変わったからだ。

内容をキャッチーな言葉だけでまとめると、以下のようになる。

第二章 言語学とその他の諸科学

 数学:数学は大した力をもっていない。

 進化論:進化論に関して対して期待するものはない。

 脳科学脳科学は魅力的だが未発達で、脳科学が正しいものを見ているのかどうかさえ誰にも分からない。

第三章 将来への展望

 私が過去に行った予想は、みんな外れてますからねえ。

と、いうのが、チョムスキーの現在の気持ちを表している。ガリレオニュートン流の完璧性という理想を求めつつ、現実の難しさの中で悩み、同様の悩みををもっていたガリレオニュートンにシンパシーを感じながら絶望しているといった感じだ。

チョムスキー言語学は、1950年代~の第一期:生成文法、1980年代~の第二期:原理・パラメータ理論、1990年代~の第三期:極小主義と3つの時期に分かれると言われている。

彼自身の評価によれば、第一期において言語学として意義があった研究は唯一で、「文脈自由文法を(ここが肝心なのですが)強い意味で等価な非決定性プッシュダウン・オートマトン写像するための構成的手順が存在すること」だけだという。コンピュータ・サイエンスで、みんな一度は勉強するオートマトン・言語理論のチョムスキー階層の二層目で、文法と機械の間をつなぐことができるという重要な定理だ。実際にパーサーが動くのは、この研究に端を発している。

チョムスキーにおいて、より重要だったのは、第二期の原理・パラメータ理論であると、本人が言っている。「一九七〇年代後半ごろになってパラメータ化された原理を用いるアプローチの形をとってきたわけですが、このアプローチは、おそらく、何千年にもわたる長い言語学の歴史において唯一の真に革命的な発展なのだと私は思っています。」

第三期の極小主義は、原理・パラメータ理論のごく一部の運動だし、第一期の生成文法は、原理・パラメータ理論によって融解されるべき概念だとチョムスキーが考えていることが、このインタビューからはうかがい知れる。

そして、より重要なことは、チョムスキーにとって原理・パラメータ理論の起源は、チューリングとダーシー・トンプソンの形態形成の研究なのだ。

チューリングは、三つの重要な研究と一つの重要な仕事を行った。三つの重要な研究とは、チューリングマシンチューリングテストチューリングパターンであり、一つの重要な仕事とは、チューリング・ボンベ(第二次世界大戦のドイツのエニグマ暗号を解読するイギリスの機械)である。

チョムスキーが参照するチューリングとは、このうち、チューリングパターンの研究である。縞々学の起源でもあるこの研究は、生命における形態形成の数理化をはじめて成功させた重要な研究である。

チューリングは、非常に多様なパターンが、単純な数理モデルのパラメータを変更することによって発生することを示した。チョムスキーのいう原理・パラメータ理論も、非常にシンプルな原理にパラメータを適用することによって個別言語が生成するというものを目標としている。

チョムスキーにとって、言語の問題は、形態形成の問題であることが明確にみてとれる。

話をまとめよう。

チョムスキーにとって言語学の問題は、言語器官でもある脳の形態形成の問題であることに帰着するため、脳科学の研究と、形態形成の研究によって言語学がグラウンドされると考えている。

チョムスキーは、言語学脳科学の関係を、化学と物理学の関係になぞらえている。化学が物理学になした貢献があるのと同様の貢献が、言語学によって可能であると考えている。

多くの言語学者にとって、言語がチューリングパターンのようなメタファーで語られることは、違和感を与えたに違いない。しかし、彼の打ち出した方針は正しい方向性の一部をなしているように思う。そこで言われていることは、複雑系の人たちからいわせれば当たり前に映るかもしれないが、チョムスキーの口からそれが言われたことが大事なのだろう。チョムスキアンは頭が固いが、チョムスキーは頭が柔らかい。

このインタビューを通して、チョムスキーに欠けているものとして、研究会で議論されたのが、1.コミュニケーションがない、2.時間がないという2点であった。チョムスキーにとっては形態形成の問題に帰着するが、そこには発達におけるコミュニケーションが必要とされていないように見える。また、進化においても、形態形成においても、チョムスキーの議論には、力学系的な意味においての時間が存在しない。完璧性の名のもとに、一種のユートピア主義的な無時間性が見て取れる。

チョムスキー対する上のような批判はさておいて、ガリレオニュートンチューリングの思想を受け継ごうとするチョムスキーの態度は、科学者として(というより自然哲学者として)満たすべき要件であるように思う。

チョムスキーの絶望は、到達が保証されないほど大きな目標を抱いた者のみがもつものである。理想が高ければ高いほど、現実に打ちのめされた時の絶望は深い。人は高い理想を持ったこと自体を批判するだろうが、ぼくはそのことを賞賛する。イバラの道であることを彼は最初から分かっていたからだ。