酔って歩く

昨日、早咲きの梅の木の下で、池上さんらとランチをとりながら、自律的な運動とはどういうものかについて議論しました。人工生命の研究の過程で、さまざまな運動パターンが生まれてきましたが、どうも自律的な運動とはいえないようです。

その帰りの道のときです。

池上さん「きみの研究は、自律的運動の代数にしよう。運動の数学っていままでないよね。」

ぼく「運動方程式

池上さん「そっかー。ニュートンか。」

大学で力学を教えている人の発言とは思えません。難しいことを考えすぎると、人間はこうなるようです。

ランダムウォーク@1905も運動の数理モデルです。1827年にブラウンがブラウン運動を発見して以来、人々はそれが生命の原物質であると考えました。いまからちょうど100年前、アインシュタインは、生命的運動をしているように見えるその微粒子の不規則な運動が、さらにミクロな分子のランダムな衝突によって起こっていることを数学的に示しました。現代の統計力学の起源のひとつとなる研究です。

ブラウン運動は、数学的説明はともかく、シミュレーションするためには小学生程度のコーディング能力しか要しない単純な世界です。岩波の「科学」のアインシュタイン特集に、ぼくの大学時代の指導教官の米沢先生が、ブラウン運動の理論はすごく簡単そうに見えて、アインシュタインの元論文を読むと、モデルをたてるための見えない前提はやはり天才的な洞察に支えられていたということが紹介されていました。

このモデル、英語ではrandom walkといいますが、日本語では酔歩といいます。どちらかというとぼくはこっちのほうが好きです。運動や行動にはなんらかの意図があると普通は思いますが、まっすぐ歩いているように見えても、人間存在なんていうのは酔って歩いているようなものに過ぎません。

酔っ払ってあっちにふらふら、こっちにふらふらと歩いても、主観的にはまっすぐ歩くことは可能です。この人間の能力を合理化といいます。要するに、日々自分に言い訳をして生きているということですね。

また人間が面白いのは、過去に対してではなく、予期する未来の自分に対して言い訳をしながら生きることができるところです。人はそのことを「志を立てる」といいます。