智場に寄稿したAmazon Mechanical Turk論です。Project GEETSTATEにも引き継がれる問題意識を書きました。
で全文が読めます。
Google AdSenseやAmazon Mechanical Turkは,新種のフォード主義を社会にもたらすかもしれない.フォードは20世紀初頭に,部品の規格化,製造工程の細分化(流れ作業化)とベルトコンベア方式を採用して,T型フォードを安価に大量生産することに成功した.この生産方式をフォード・システムというが,フォードがもう一つ革新的だったのは,彼が独特の労働観を持っており,当時としては破格に高い賃金を労働者に支払い,自社の労働者が自社のT型フォードを買えるようにしたことである.フォード・システムにより低価格で高品質な製品を大量生産し,労働者に高賃金を払う経営理念を「フォード主義」という *2 .
中略
もう一つの問題は,このように極度に分業化が進んだ社会においては,人間が,働くことの意味から切り離されてしまうことである.自分のやっている仕事の意味が見えなくなり,社会から想像力が失われていく.著者が提唱する伝播投資貨幣PICSYは,貨幣レベルに伝播性を導入することにより,このような社会においても想像力が展開されることを目指したものだ.
今回掲載の対談において,公文俊平は,情報社会で展開されるのは極度の分業ではなく,むしろDo it yourselfのような自前主義を促進するパーソナル・フアブリケーター(個人用工作機械)であると言う.これは,フォード生産方式ではなく,最近流行しているセル生産方式に近い.セル生産方式とは,屋台のような作業場で,一つの製品を一人もしくは数人で,最初から最後まで組み立てるというものだ.
どちらが正解というわけでもないのかもしれない.労働と意味の関係は,東浩紀の言う動物的/人間的という二分法によって分析が可能である.フォード生産方式の人間疎外は,労働から意味を剥奪して動物的にする.セル生産方式においては,労働は意味と結びつきやすく,したがって人間的である.東が指摘するのは,動物的,人間的のどちらが正しいとかどちらかが生き残るという問題ではなく,この二つが「人間という動物」に必然的に伴う現象であり,片方を抜きにして議論が不可能であるという現代性をわれわれは認識しなければならない,という点である.
機械化する社会において人間がどのように生きるべきかという問題は,100年前から考えられてきた古い問題ではあるが,コンピュータという特別な機械は,プログラム可能であることによってありとあらゆる機械をシミュレート,エミュレート可能にするという特徴を持っている.この新種の機械が,Amazon Mechanical Turkのような新たな人間と機械の関係を生み出すことは,歴史的必然のように思えてくる.