「なめらかな社会の距離設計」からギートステイト制作日誌へ

ised1.0のぼくの会の報告

なめらかな社会の距離設計」が公開されました。個人史的にはもっとも気合をいれた講演なので、ぜひご一読ください。

 鈴木健はまず講演において、「私的所有」という概念の由来を、生物学的な起源に遡行して検討しながら、「敵/見方」といった二項対立的な概念把握こそが、現代社会の問題の基底にあるとみなす。そして鈴木は、二項対立ではない「なめらか」な認知距離を可能にするためのシステムを、メディア、貨幣、法(契約)という三領域それぞれについて提案している。

中略

 討議第2部では、倫理研からのゲスト参加となった白田秀彰が、「鈴木健の構想は宗教に他ならない」と口火を切った。白田によれば、鈴木健の「PICSY」や「契約の自動実行」といった構想は、社会的行為の複雑な因果関係を機械に演算し、実社会に反映させることで、これまで仏陀やキリストの開示した「因果応報」や「他者への愛(思いやり)」という理念的な関係性を実現することに相当するというのである。これに対し東は、鈴木のこの構想を、「生態環境を根底から書き換える」という意味で、宗教的というよりは「生態学的」と形容することを提案。この生態学的な制御によって、これまで国家の果たしてきた「暴力の抑止」と「私的所有の保障」という機能を代替さえすれば、国家を揚棄することもありうることを示唆した。

そして、ised2.0とも一部で呼ばれていた

CNETギートステイト制作日誌で最初のエントリーも書きました。

さて、2045年にはどんな宗教改革が起きているでしょうか。

ギートステイト2045年では、その人の人生を記録したライフログを呼ばれるアーカイブを多くの人が持つようになります。ライフログとデバイスが連携することによって、さまざまなレベルで生活に利便性が提供されるからです。ライフログは、いまのブログの発展系のようなものですが、その情報量は現在の十億倍を超えます。ある人の24時間365日何十年もの精細な映像記録が蓄積され、そのアーカイブを検索、閲覧する新しいインターフェイスも開発されていきます。

すると、当初は予想されてなかったことですが、ライフログ中の他人の人生を自分の人生と思い込む人が出てきます。自分がライフログ上の彼の生まれ変わりだと強く信じる人々が、何十万人も出現するのです。これはあながちありえないことではありません。そもそも、人間の記憶とは怪しいもので、幼いときの記憶はそのままの記憶ではなく、記憶を幾度となく想起することによって記憶として固着していくものです。