昨日は、ISED@GLOCOMのプレミーティングに行ってきました。設計研のメンバーは、石橋啓一郎、村上敬亮、井庭崇、近藤淳也、八田真行、楠正憲と、全員知り合いなので、リラックスして議論できそうです。
政策や制度設計について話すときは、タイムスパンとスペーススケールとテーマスコープを決めないと議論にならないのですが、今回の趣旨にはタイムスパンが書いていなかったので確認しました。ディレクターの東さんは20~30年を想定しているということでした。ただ、人によっては2年くらいのスパンの話をするらしく、ぼくも100年から1000年のスパンの話をすることを許してもらいました。
とはいえ、ぼくも人の回のときには、その人のスパンにあわせて議論をする予定です。その意味では、分裂的ではありますが、そういうもんです。むしろ、すべての人格が鈴木健の中にあるのであって、矛盾しているとかそういう問題ではないのです。
制度設計について議論をするときのもうひとつの注意点は、「病気と薬と処方箋」の違いを意識することです。そうしないと、カテゴリーミステイクに基づく不毛な議論が続くことになります。
制度設計が実際に政策化されるときには、政策の集合として実現するため、制度が持っている致命的と思われる欠点でさえもカバーすることができます。
実はモノ作りをしている人にはこの感覚は誰にでもあるでしょう。例えば、パソコンメーカーが新しいパソコンのCPUのクロック数を高くしたいとします。そうすると熱が余計に発生するのでシステムが安定しません。
世の中の「本質的な問題を探したい症候群」の評論家的な人たちは、「CPUと熱の関係は本質的で解消できない。パソコンに未来はない」と騒ぎ立てますが、技術者は新しい放熱法を考えてクリアしようとしたり、使っていないときはCPUを使わないようにしようとか、ワークアラウンドを一生懸命考えます。
たいがいの問題はそうやって解決されます。モノ作りの現場の中で、日々クリアされていくそうした問題の量は膨大で、知らない人から見ると驚くべきほどです。(だからプロジェクトXなんて番組が成立するわけだが、現場からみたらあれくらいの困難は日常茶飯事です。)
ぼくもソフトウェアというモノ作りの現場の世界で、プロジェクト開始時に数百もの課題を抱えていたのが、チームの努力によって毎日一つ一つ解決していく過程を、一緒になって経験しました。
むしろ大切なのは、中心となるコンセプトを一貫して持ち続けること、累積する課題から逃げずに日々立ち向かうことだ、ということを細胞レベルで学ぶことができました。
この感覚は、細胞レベルで学ばないと意味がありません。世の中の多くの政治家、学者、評論家の多くはこうした人生経験をしていないように思います。(政治家と学者は、その仕事の枠内で、構築型の仕事をすることが可能だけど、評論家は原理的に不可能)
そのため、政策や制度設計についての議論が、非常に低いレベルで行われるという悲しい現実が起きています。そういった道を目指す人たちは、まずモノ作りをしている普通の会社にはいって仕事をした後に、行くべきでしょう。
そうした経験をしても、タイムスパンによる政策議論空間のポートフォリオを組むという発想はなかなかでてきません。こればっかりは経験からではなく歴史から学ぶしかないからです。
タイムスパンによるポートフォリオという視点は、政治家や経営者などの指導者には必須の要件となります。ビスマルクは、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いました。これは、経験や身体性の軽視などでは決してなく、指導者の要件について語っているのだとすれば腑に落ちるでしょう。
会社に入ると、やっている仕事の性質の違いによるねたみから、「あそこの部署は短期的過ぎる」「あそこの部署は長期的過ぎる」という会話がたびたび見られます。しかし、それらの発言は、自ら指導者としての資質がないことを言明しているに過ぎないのです。
逆に言うと、それ以上でもそれ以下でもありません。別に全員が指導者になる必要はないですからね。
今日はshi3zさん風のエントリーでした。