戦慄系宣言

戦慄系という言葉を思いついた。思いついたのは3ヶ月くらい前に池上さんと話していたときだけど。だらだらしてたら、うのさんが早く書けというので書きます。

戦慄系とは、萌え系の対立概念である。ごちゃごちゃ説明する前に例をだすと、

戦慄系の例

ニュートン力学、決定論、自由意志

マクスウェルの悪魔

・生命の起源と進化論

アインシュタイン相対性理論

量子力学と不確定性、相補性

カントール対角線論法、無限論

ヒルベルトのプログラムとゲーデル不完全性定理

・宇宙の起源

ペンフィールドの実験

・ドフトエフスキーとその問い

・ヒュームの懐疑論

ウィトゲンシュタインと他我論

河井継之助の死に様

孔子の境地

チャーチルの背中

世の中には、戦慄したことがある人としたことがない人がいて、したことがない人と戦慄について共感してもらうのは難しい。だから、戦慄系を説明しても意味はない。分かるやつは分かる。分からないやつは分からない。ただそれだけだ。

しかし、ひとたび戦慄すると、他の戦慄系に興味を払わざるを得ない。それが戦慄系の特徴だ(萌え系にこれはない)。

PICSYは自分で思いついて自分で戦慄した。

最近世の中では萌え系が流行っているようだが、ぼくは一貫して戦慄系だ。萌え系とか言っている連中にはドロップキックだ。

いざ戦慄せよ、わが同志

みなさんの戦慄系も募集します。