世界で最も美しい本

inquisitor経由

http://www.printing-museum.org/jp/exhibition/pp/060211/index.htmlより

ドイツのライプツィヒで毎年3月に開催される「世界で最も美しい本コンクール」。

およそ30カ国から寄せられた700点あまりの、量産のための、さまざまな制約を乗り越えて生み出された美しい本のなかから、その年の世界で1番美しい本を選び出す国際コンクールです。

本展は、このコンクールの1991年から2005年までの15年間の受賞図書約200点の書籍をご紹介する世界巡回展です。ドイツのフランクフルトで始まり、ソウル(韓国)、タリン(エストニア)、上海(中国)で開催され、東京展でフィナーレを迎えます。展示図書のうちおよそ70点は実際にお手に取ってご覧いただくことができます。

 

●会 期: 2006年2月11日(土)~4月23日(日)

●休館日:

毎週月曜日

●開館時間: 10時 ~ 18時

●入場料: 無料

●主 催: 凸版印刷株式会社 印刷博物館

●協 力: 東京ドイツ文化センター

Stiftung Buchkunst, Frankfurt am Main, Leipzig

●後 援: 社団法人出版文化国際交流会

社団法人日本書籍出版協会

これ行きたいなあ。明日いくか。

公文俊平と梅田望夫の対談

昨日、国際大学GLOCOMで公文俊平梅田望夫の2人の対談の司会をしてきました。

2時間、完璧に集中して聞きながら、同時に話の流れをつっていくのは結構難しいです。

あまり司会むきでない性格かもしれませんね。

司会はつたないところもありましたが、内容はかなり面白かったと思います。

近日中にテキストベースで公開されると思うので、そのときにまたお知らせします。

「ウェブ進化論」考 2.神の視点から人の視点へ 「世界の距離」を計算する

梅田望夫は、次の10年の三大潮流として、インターネット、チープ革命オープンソースの3つを挙げ、その上で次の三大法則があるという。

第一法則:神の視点からの世界理解

第二法則:ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏

第三法則:無限大×ゼロ=something

今日はこの第一法則について論じてみよう。

「神の視点」として、梅田さんは2つの例を挙げている。

第一法則の「神」の視点とは、「全体を俯瞰する視点」のことである。たとえばインターネット事業者と顧客の関係で考えてみよう。ネット事業者とは、顧客一人ひとりに対してあるサービスを提供する存在である。ヤフーはメディア的な情報サービスを、楽天は商取引や金融サービスをそれぞれの顧客に提供する。これがネット事業者に対するごく普通の理解である。

しかし同時に、こうしたネット事業者は100万人単位とか1000万人単位という、ほぼ不特定多数無限大と言ってもよいほど厖大な量の顧客が、「そのサービスを利用して何をしているか」についての情報(誰が何をいくらでいつ買ったか、どんな記事を読んだか・・・)をすべて自動的に収集できる。情報収集コストや情報保存コストが限りなくゼロに近づき、厖大な情報を処理するコストも下がってきたため、収集して保存するだけでなく、「全体を俯瞰する視点」でその顧客世界「全体」を丸ごと分析し、「全体」として何がおきているのかを理解できるようになった。

別の例で考えてみよう。検索エンジンというのは、検索したい言葉をユーザが入力し、結果としてその言葉に適した情報のありかが示されるサービスである。これが顧客の利便性という視点からのごく普通の理解だ。しかし同時に検索エンジン提供者は、世界中のウェブサイトに「何が書かれているのか」ということを「全体を俯瞰した視点」で理解することができる。そしてさらに、世界中の不特定多数無限大の人々が「いま何を知りたがっているのか」ということも「全体を俯瞰する視点」で理解できるわけだ。

実際に、googlePageRankは、彼らがクロールしているウェブ全体をサーバーにいれて、そのリンク関係から各ページの重要性を計算している。これは全体を俯瞰する視点といえなくもない。

逆に、ヤフーや楽天のデータも全体も検索エンジンの中に入っており、その中においては確かに全体をを俯瞰する視点をつくることができる。

神の視点とは、このようにローカルな環境におかれたグローバルな検索エンジンの存在に他ならない。ローカルという一点(神)から、グローバルという全体を俯瞰するのである。

では、グローバルな環境におかれたローカルな検索エンジンは可能なのだろうか。

それは、「本当の大変化」にならないのだろうか。

そもそもウェブのはじまりは、Apacheなどのウェブサーバーが分散環境にあり、URLを通じたハイパーリンクによって緩く連携するシステムであった。ハイパーリンクは弱い検索の一種であり、「グローバル環境」「ローカル検索」はウェブというシステムの源流だったのだ。しかしその検索性の弱さ故に、Googleのような強い検索が人々に要求されたのである。(ハイパーリンクは紙よりもはるかに強い検索である)

こうして見ると、ハイパーリンクより強く、Googleよりも弱い検索エンジンにこそ、ウェブの未来があるかもしれない。

グローバルな環境におかれるとはすなわち「分散検索」であり、ローカルな検索エンジンとは決して全体を知りえない検索エンジン=「パーソナライズ検索」である。

パーソナライズ検索は、神の視点ではなく、人の視点をもたらす。分散SNSとパーソナライズ検索が組み合わせは、Web 4.0の世界を切り開くことだろう。

【検索とは何か】検索の本質は世界の距離を測ることにある。

検索とリコメンデーションとフィルタリング、ハイパーリンクは、その意味で区別できない。

たとえば、クエリーフリーという検索パラダイムがある。普通の検索が、入力フォームにキーワードを入れて検索ボタンを押すのに対して、たとえば文字を入力する先から、Web全体から検索した結果を表示することなどができる。このような無意識の検索は、IMEの入力補完などによって、すでに実用化されているのだが、これを検索だと気づく人は少ない。

同様に、ハイパーリンクをダイナミックに検索することも可能だ。はてなのオートリンクは、ハイパーリンクを準動的に生成している。性能の問題さえ気にしなければ、検索結果の選択も含めて完全に動的にすることだってできるだろう。通常の静的なハイパーリンクは、最もシンプルな検索である。このことは、ハイパーリンクのオリジナル論文である、ヴァネバー・ブッシュの"As We May Think"にも指摘されている。

ある文字列と最も近い距離のドキュメントを作者が指定するのがハイパーリンクである。距離の近い順に全て列挙すれば検索と呼ばれ、距離の近い最初のいくつかを絞って表示すればリコメンデーション、距離が遠いものすべてを削除して表示すればフィルタリングと呼ばれる。

しかしこれらはすべて、世界の距離を計算していることに他ならない。あとはユーザ・インターフェイスによって呼ばれ方が異なるだけだ。検索エンジンを設計することとは、世界の距離を設計することである。

SNSは、現在はmiximyspaceのようにサーバー集中型だが、原理的にはブログの付属のような形で実現可能である。実際に、Affelioのような分散型SNSが登場している。

一方で、SNSは世界の距離を計算している。有名な"six degrees of separation"も世界の距離についての分析だが、SNSのマイページに表示される「友達の新着日記」は、Googleにかわる新しい世界の距離の計算方法なのである。ハイパーリンクと同様に「友達の新着日記」は検索だと気づく人は少ない。

こうしてみると、分散検索とSNSの握手は歴史的な要請であるように思える。

われわれが開発している「なめらかなメッセージングを実現するRSSリーダー」は、その実験のひとつである。(ちなみにこれについては、梅田さんの前で2年前にプレゼンをしています。そのときの梅田さんのレポはこちら。本論がまったく触れられていません。)

Web 4.0は、決して技術的なパラダイムシフトにとどまらないだろう。人類が世界を認識する仕方そのものを根本的に変えるのである。日本の優秀な技術者は分散検索エンジンの研究をしてほしい。ぼくはウェブの未来が「なめらかな社会」のメディア的実現にあると信じてやまない。

「神の視点」は、なぜ打ち砕かれるのか。そもそも、そんなものはニーチェによって殺されたのではないか。

神の視点とは、所詮はメインフレーム論の生まれ変わりである。

しかし現代によみがえったメインフレームは、しばしの間、隆盛を極めることだろう。

次回は、インターネット上に実現するメインフレーム Web 3.0について論じよう。

「ウェブ進化論」考 1.革命を論ずる土壌の出現

梅田望夫さんの文章は、CNETブログのころから愛読していたので、あらためて新しい発見というのは少ない。このように初読にして再読であったにも関わらず、この本は熱い気持ちを呼び起こしてくれる。良書とはそのようなものである。

梅田さんが目指したのは、二つの孤立した島に橋をかけることである。

60代と20代

リアルとネット

PC側とサーバー側

この3つを、「こちら側」「あちら側」という表現で乱暴にまとめることによって、いまネットで何か起きているのかをネットを使わないエスタブリッシュ層に向けて発信する。

そこで用いられているのが「驚きという文体」である。ギークアーリーアダプターにとってはすでに当たり前になっている概念や事例を、読者と一緒に驚いてあげるのだ。「なんだまだ知らなかったのか」といいたげなギークにはとても真似できない芸当である。

こうしてこの本は20万部を売り上げた。この効果は大きい。

日本史上はじめて、ネットバブル期のIT革命論(生産性の向上)ではなく、情報革命論(文明やライフスタイルの変容)が、一部の知的活動に従事している者だけでなく、一般の人々に浸透したからである。ぼくのような仕事をしている者にとって、この状況は、願ってもかなえられないものと考えていた。

革命を論ずる土壌が生まれたのである。

梅田本は革命を論ずる土壌を日本に生み出したという前提にたち、この後何回かにわたって、「ウェブ進化論」をネタに「本当の大変化」について論じようと思う。

さて、その前にこの20代=60代という世代論について、一つだけリマークしておこう。

ぼくは、展示会やセミナーなどを通じて、伝播投資貨幣PICSYについて、いままで3000人ほどの人に説明してきた。そのときの反応からみると、60代、70代の年配の方のほうが、20代、30代の若者よりも理解度が高い。

このときのことは、ringoがブログにこのように書いている。

今日は、午前中、

IPAX

に行って、PICSYの展示を手伝った。

PICSYは、現在の貨幣の問題点を解決しようとする、

100年~1000年先を見据えた、

誤解を恐れずに言えば女性がまったく興味を示さないタイプのプロジェクトだ。

で、その展示には100人以上いろんな世代の男性(わずかの女性と)がきた。

そこで人間観察をして思ったのは、

いま、いちばん頭が固いのは、30代の青年ではないのか?

ということだ。

老人と話をしていて衝撃だったのは、彼らにとっては、

僕らが人生の大前提としている資本主義とか、民主主義とか、治安とか、

意思決定の基礎に置いてるものが当たりまえのものではない、ということだ。

だから、経済の根幹にかかわる大改造とか、

価値観を根本的に変える必要のある提案をしても、

30代の人なら「そんな無茶な。できるはずない。」

と言って終わりになるところが、

「へぇ、で、それはどんな風にやるの?」となる。

日本の政治、経済のしくみを作ってきた人たちと、

作られた後に産まれた人たちとの差は、あまりにも大きい。

ひとりの老人が、鋭くもこういう事を言っていた。

「同世代の人に説いてまわるより、子供に説いてまわるほうがいいよ。」

そうか、なるほど、うーむ、知恵とはこういう事をいうのだ。

彼はさらに、「子供用に、伝播投資貨幣を学べるゲームを作ればいいのでは。」

とも言っていた。

これを発展させると、たとえば中国とかで説いてまわるほうが、

日本でやるよりも効率よく広めることができるかもしれない。

経済の大前提みたいなものを、いままさに作っている最中の国だからだ。

今日、手伝いにいって得たものは、果てしなく大きい。

一億総懺悔や天皇人間宣言を目の当たりにした人々は、どんな社会システムも固定のものではなく変容するべきものであることを身体的に理解しているのである。

梅田さんとは逆に、ぼくは同世代のネット業界の人々や大学生と話すと、そのあまりにも体制迎合的で短期的な視野に、ある種の絶望的な気分になるのである。たとえばぼくは「キャリア」という言葉が嫌いだけど、その意味を理解してくれないのだ。

ぼくとringoはこうしてこの老人の知恵をお借りして、伝播投資貨幣を子ども向けに遊べるようにして、PICSY×gumonjiのワークショップを去年の12月にICCで開いた。残念ながら子どもの参加者は数人だったけれど、こうしたアプローチは今後も続けていきたいものだ。

アラン・ケイが子どもにこだわり続ける理由がよくわかる今日この頃。

それでも不特定多数のまだ見ぬ人々に向けて、このブログを発信し続けよう。

イラク国民にアメリカ大統領の選挙権を与える検討が始まります

混迷するイラク情勢に一筋の光明が差しているかもしれません。

先日、家を出ると青緑ナンバーの黒塗りの車が近づいてきて、流暢な日本語をしゃべる外国人が降りてきました。Steveと名乗る長身の男は、アメリカ大使館から来たと言い、ぼくはそのまま大使館に連れて行かれました(もちろん任意ですが)。

あまり詳しく話せないことも多いのですが、かいつまんで話すとこういうことです。

現在、米国の国防総省国務省の共同研究プロジェクトで、いままでの外交・安全保障戦略を根本的に見直す活動がはじまっているらしいのです。その内容というのは、「米国大統領の選挙権をイラク国民に与えた場合どのようなことが起きるのか」をシミュレーションしようというものでした。どのようなオプションがあるのか、その場合のシナリオを調査しているのです。

なぜ、ぼくのところにこういう話が来たかというと、いまから5年前の2001年に太田出版から出された本に寄稿した「ネットコミュニティ通貨の玉手箱」という論文の「貨幣・投票・所有の情報論的融合」という章で、以下のようなことを述べたからです。

6.貨幣・投票・所有の情報論的融合

 あくまで経済的な問題として貨幣を扱っていたが、ここから先は話を広げていく。ただし、内容はぶっ飛んでいるので、良識のある人なら疑ってしかるべきだ。できれば、本節からインスピレーションを受けて、読者の誰かが具体的なモデルを提示してくれたらうれしい。

貨幣とは何かという疑問には、視点によっていくつかの答えがある。そのひとつが「評判言語としての貨幣」貨幣評判説である。例えば、AさんがBさんから1万円の商品を買ったとしよう。その1万円でBさんがCさんから商品を買えるのは、1万円が「コミュニティの構成員に対するBさんの貢献の度合い」を表現しているからだ、と解釈することができる。実際に、発券通貨と異なり、LETSにおいてはフロー(取引)からストック(口座の残高)が決定されるのであってその逆ではない。LETSの場合はストックからフローがでるものとして観ることも可能だが、相対値貨幣に至っては完全に不可能で、評判の数値化であることは明白である。このことは、LETS型の通貨が貨幣というよりも「間接的互酬の可視化」であることを主張している。

ここで気をつけなくてはいけないのが、貨幣は評判言語だといっているわけではないのである。例えば、柄谷行人岩井克人による貨幣の議論[114]は、貨幣を受け取ったからといって次の人が受け取ってくれる保証はなく論理的には無限退行してしまうので、貨幣の受け取りには一回一回、論理的飛躍があるということであった[115]。これは、現実で取引をしている人が演繹的に判断しているわけではない、ということを言っているにすぎない。実際には、認知科学でいうところの学習の汎化(有限の過去の情報から無限の状況に対応できる世界モデルを構築し、認識し行動する)が起きているのだろう[116]。だが、柄谷らのアクロバットな議論に倣って、「そのように観ることもできるもの」として、「評判言語としての貨幣」が可能となる。ちょうど、貨幣を媒介したやり取りを宇宙人が観察したときに、そういう視点も可能であるということだ。貨幣は言語の一部であり、言語の中でも評判言語であり、評判言語の中でも人工言語(数値)である。

 すると、同様に評判言語であるところのいくつかの指標と結合することによって、新しい意味が獲得される可能性が存在する。具体的には所有と投票がそれである。上記に倣って「評判言語としての所有」「評判言語としての投票」と言っておこう。投票が評判言語であるのは非常に自明だが、すでに投票と貨幣が融合しているケースが存在しているという事実に多くの人は気がついていない。

例えば、株式会社においては、資本を投下した額(貨幣量)に応じて投票権が与えられている[117]。また、先の米大統領選挙では投票権eBAY等のオークションサイトで売りに出されて話題になった。国政のような唯一で最終的な意思決定機関でそういうことをやるのはどうかと思うが、ガバナンスのモジュール化によって各案件を別々に扱えるようになれば、投票の売買は現実味を帯びる。逆に、政党助成金は投票量に応じて貨幣を分配する制度である。もちろん、これらは必ずしもいい融合の例ではないかもしれない。融合の仕方が正のフィードバックをかけているので、これを徹底すると財産選挙権になってしまうからだ[118]。たとえば同じ融合でも、反比例にするなど負のフィードバックをかけるようにはできないだろうか。

正のフィードバックも、場合によってはいいことがある。利害関係には濃度があるが、普通の投票制ではそれを反映していないことがあるからだ。そうすると、双方の陣営は、必死にそれほど利害がなく興味の薄い層を取りまとめるために莫大な金をかける。これはあまり好ましいことではなさそうだ。コミュニティガバナンスのモジュール(部品)化に応じて、案件の利害関係者をフレキシブルに選別し、バーチャルに集めて意思決定を行うということが可能になれば、こうした無駄はなくなる。例えば、ある一つの川をめぐる様々な問題に対応するために、川の利害関係者を一同に集めて仮想的な意思決定機関をつくることはできないだろうか。川は複数の自治体や国家を通るだろうし、たくさんの企業が利用し人々が生活しているに違いない。既存の意思決定過程では、非常に煩雑な交渉を通してやりくりしている。交渉の結果(条約等)が議会で承認されるとも限らない。しかも、議会の参加者には利害と全く関係のない人々の代表者も含まれているだろう。経済と政治が複雑に絡んだ問題に、新しいガバナンスの解決策を生み出せはしないだろうか。

基本的には、いままでの社会は公-私の二項対立の図式で問題の解決が行われてきた。今後、共(コミュニティ:共同体)のパラダイムがどこまで踏み込んでいけるかが課題である。ネットコミュニティは、リアルな世界のコミュニティとまた違った可能性も(限界も)秘めているし、コミュニティのガバナンスという点で本節の手段を使うのが、いまのところ最も適当かもしれない。

貨幣、所有、投票は、以下のような評判に応じて権利を分配するメカニズムである。

貨幣:コミュニティ(社会)に対して、高い効用を与えた人が多くの購買力(権)をもつ。

所有:生産物(プロジェクト)に対して、高い関与をした人が多くの利用権(or占有権)をもつ。

投票:コミュニティ(社会)に対して、高い効用を与えられる人が多くの意思決定権(or名誉)をもつ

諸権利の相互作用を許せば、数値が相互作用するのはある意味で当然かもしれない。以上の話をまとめて、リンカーンによる有名な言葉を当てはめると次のようになる。

表 2 所有・投票・貨幣の特徴
評判 権利 分野 民主主義のカテゴリー
所有

関与 利用権or占有権 法律 Of the people
投票 効用可能性 決定権or名誉 政治 By the people
貨幣 効用 購買力 経済 For the people

このことから、貨幣、所有、投票の情報論的融合とは、e-democracy[119]の新しい形態であることが明らかだ。勘違いしてほしくないのは、あらゆるコミュニティで三者を融合させなくてはならないというわけではないということだ。単に貨幣としてだけでもいいわけだし、それはコミュニティが社会契約で任意に決めればいい。

 では、相対値貨幣と絶対値貨幣の違いはどのように比較できるだろうか。絶対値貨幣的な取引は消費者的であり、相対値貨幣的な取引は資本家的であることはすでに指摘した。消費者は買った瞬間だけ企業とつながるという意味で互いに無責任である。一方、資本家は直接的な損害をこうむるので責任を所有している。また、消費者は買う-買わないという判断でしか企業のガバナンスに影響を与えることができず、間接選挙的である。資本家は株主総会での意思決定権を持っているので直接選挙的である。以上をまとめると以下のような表になる。

表 3 絶対値貨幣と相対値貨幣の比較
取引形態 責任 民主制
絶対値貨幣 販売-購入的 断絶 間接選挙
相対値貨幣 投資-被投資的 連鎖 直接選挙的

さて、ぼくは一連の思索で何をしてきたのだろうか。それは、いままで全く別のものと考えられてきたものが、一連の連続なスキームの特殊な状態をラベリングしたものにすぎないと指摘したことだ。すなわち、個人、企業、国家、消費者、資本家、取引先、従業員、政治家というようなラベリングや貨幣、所有、投票といったラベリングを、互酬のための評判システム空間全体における点としてみることができる。その点と点の間は本来連続的につながっていたが、われわれは言語の束縛によってそれに気づくことはなかった。これからは、コミュニティにおける互酬の評判システムをどう社会契約しているかという視点から、すべてを統一的に観ることができよう。人は、資本家であると同時に消費者であり、政治家であると同時に一市民である。そのことを決して忘れてははらない。

最後の段落は、いま自分で読んでもなかなか良いことを書いてあるなと思います。われわれは連続的な空間上の点をラベリングしているだけにしかすぎず、それを今風の言葉でいえばなめらかにしていこうと言っているわけです。

この論文は、途中で「コミュニティが社会契約で任意に決めればいい」「コミュニティにおける互酬の評判システムをどう社会契約しているかという視点」という言葉が出ているとおり、構成的社会契約試論のアイデアの最初の論文になっています。

ぼくはこの論文では川のガバナンスを例にして出したのですが、これがイラクと米国でもかまわないわけです。「イラク国民に米国大統領の選挙権をあげる」という話は、東浩紀ICCでのシンポジウムで初めて言ったことだと思います。このシンポジウムはログが公開されていませんが、近藤さんと一緒にやったpodcastingは公開されているので、確認してみてください

東さんは、民主主義2.0という言葉を使っていましたが、民主主義Webサービスの時代も近いかもしれませんね。

そういうわけで、ウェストファリア体制以降、最も大きな国際システムの地殻変動がはじまっています。この研究プロジェクトに興味のある方は、スタッフを募集していますので、ぜひご連絡・コメントをください。

FTEXT教科書シリーズ数学Aがダウンロードできます。

FTEXT教科書シリーズ数学Aがここからダウンロードできるようになりました。クリエイティブ・コモンズライセンスで配布していますので、自由に利用してください。

こちらで以前紹介しましたが写像12相に基づいた組み合わせ論で書かれているので、高校数学を一度勉強した人でも楽しめる内容となっています。

誤植などありましたら、こちらのほうでご報告ください。