結局のところ、「攻殻機動隊」の世界で、「ファイナルファンタジー」のマテリアルを使って、「ナウシカ」の物語構造を展開し、「アルマゲドン」しただけじゃないか。
人間存在のアンチノミーを最後までがんばって描ききれるのは、「デビルマン」と「原作ナウシカ」と「寄生獣」くらいなのか。「原作ナウシカ」を1000億円9部作くらいかけて宮崎監督の下、スタジオ・ジブリでアニメにするか、ロード・オブ・ザ・リングのスタッフで実写にしてくれ。「マトリックス」はサイバーパンクの世界で、それをやってくれるかと期待したが、甘かった。
サイバーパンクという素材において、自由意志と選択というプロットを活かすべきだった。マトリックスにおける「選択」はせいぜい迷いの問題でしかなく、しかも登場人物はほとんど迷いもしない。選択はすべて、Deep GreenなMatrixとOracleによって与えられ、最後は太陽でごまかされる。これはIT業界のパロディなのか?
This is also the United States of America.
アンチノミーにおける「選択」の問題は、2つのドア(または道、目的)のどちらを選ぶかではなく、どのようにして悩み、「選択肢」が創発するかにある。私は、何の自由意志もなさそうなネオとトリニティーよりむしろ、自由を獲得したスミスにこそ魅力を感じる。なぜ、ネオの善とスミスの悪を反転させなかったのか。そうしたらもっと魅力的な物語になったろうに。しかし、所詮「アルマゲドン」にはそれができないのだ。
24時間の間にマトリックスの3部作を見るという荒行をやったので、今日は疲れた。池袋のレイトショーを見に行った帰り、有楽町線にのろうとして間違って丸の内線にのりそうになったくらいだ。
「ナウシカ解読」と、マトリックスの哲学者による解釈論文サイト、ぼくのよく見る映画批評サイトを紹介しておこう。もっとよい批評サイトがあればぜひ教えてほしい。
PICSYとどう関係するかって?
経済学における自由と選択の問題については、センを紹介しておこう。
そして、マーケティングとは、自由を奪おうとすることに他ならないことも指摘しておかねばならない。
PICSYにおけるMatrix Calculationは、われわれにさらなる自由をもたらすのか。そうでなければ、何の意味もない。映画のマトリックスと同様にくだらない。そもそも、Revolutionを起こす必要さえないのだ。