政策コミュニケーション・プラットフォーム

先日、SFC ORF(Open Research Forum)というイベントが六本木ヒルズであり、最近お世話になっている井庭ゼミのブースで、彼らの作ったEclipseプラグイン型の社会シミュレーション開発プラットフォームをいじっていたら、ふと懐かしい顔を見つけました。井庭ちゃんが昔やっていた複雑系勉強会で知り合った島広樹くんです。

邂逅に笑みを浮かべつつ、何をしているのか聞いてみると、大阪大学に特任研究員として所属しながら、政策コミュニケーション・プラットフォームというのをやっているというではありませんか。

何をやろうとしているか理解するのに数秒とかかりませんでした。なぜなら、ぼく自身が1996年の衆院選で、インターネット政策比較プロジェクトというのをやっていたからです。

YAHOO Directoryを見ると、過去の選挙は1996年が一番古く、その中には2つのコンテンツしかありません。そのうちのひとつがインターネット政策比較プロジェクトですから、日本で一番最初の政策比較選挙サイトでしょう。

今をさかのぼること8年前、1996年の9月にぼくは銀座のとあるオフィスに遊びに行きました。そこでたむろしていた何人かの学生とは今でもつきあいがありますが、そのうちの一人に、選挙とインターネットの可能性についてこういうサイトを作りたいと話していたら、協力するからぜひやろう。やるからには衆院選に間に合わせようという話になり、プロジェクトが始動することになります。

まず、時間が限られていました。おおよそ2週間ほどでやりきったはずです。

選挙区の選定としては東京6区を選びました。著名な政治家が何人も参加している激戦区だったこと、直接行ける距離だったことが理由です。

当時、インターネットというのは限られた人しか知らない技術で、慶應義塾大学の日吉キャンパスでさえ、ブラウザを起動してWEBサイトの閲覧ができるマシンは、Solaris3台しかなかったような時代です。候補者や選挙事務所の人が知っているはずはほとんどありませんでした。

しかし、選挙区をしぼって政策比較をする以上、6人の候補者全員のコンテンツが集まらなくてはいけません。公平性の観点から、一人でも断られたら駄目なのです。交渉は難航を極めましたが、しぶとく食い下がり、ようやく全員の了解を得られることができました。

当時はインターネットの政治利用のガイドラインはありませんでしたから、ぼくももしかしたら捕まるんじゃないかとびくびくしながらやってました。なによりもOKを出してくれた候補者の人たちに感謝です。

今度はコンテンツのフォーマットです。本を一冊送るからまとめてくれという人、質問にFAXを送ってくれる人、インタビューをしに自宅に来てくれという人、それぞれのコンテンツを一つのフォーマットに落としていきます。徹夜の作業が連日続きました。

選挙直前の公開でしたが、新聞などで取り上げられたこともあり、かなりのPVがあったと記憶しています。

ぼくがこのサイトを作っていたときに考えていたことは、冷戦が崩壊し、思想対立が政治の争点ではなくなり、政党は思想的には似たりよったりになるため、政策が政治の争点になる時代が短期的には続くだろうという読みでした。現実は確かにそのように動いているようです。

また、テーマを選択すること自体がある種の政治的な影響力を持つことは事実です。そういった意味で、テーマ選択に政治的な中立性は困難です。いずれはテーマ自体を政治家が登録できるようにしたいと考えていました。

政策コミュニケーション・プラットフォームの話を聞いたときに、一瞬でぼくの脳裏にこれらの出来事がロールバックしました。ぼくはしばしの間、湧き上がる気持ちを抑えられずに興奮して、島くんとはなんらかの形で協力することを約束して分かれました。

島くんはこの活動をもう3年近くもやっているそうで、ライフワークとしてずっとやってこうとしています。一発やるのと継続していくことの違いは大きく、その執念は尊敬に値します。政治はビジネスの世界以上に魑魅魍魎が跋扈している世界です。きれい事ではすまない世界で、きれい事をやり続けるのはさぞかし大変だと思います。

その後、ぼくと政治ネタの関わりは途絶えますが、政策分析ネットワークの政策メッセ2001のシンポジウムでe-democracyについて話したことがあります。

その時にぼくが考えていたのは次のようなことでした。政策というのは必ずしも行政単位に依存しているとは限らない。例えば川の問題であれば、複数の行政単位にまたがって行われなければならない。それを各行政単位ごとの決定と行政単位間の交渉という現在の形でなく、利害関係者が全員入ったアドホックな決定機関を作って解決することはできないかというものでした。

情報社会の未来形は、人がもっと移動する社会になります。なぜなら、われわれが定住している理由はそこに学校や職場があるからに過ぎないからです。現実はまだまだそこまでいっておらず、われわれのライフスタイルはほとんど何も変わっていませんが。移動が活発化すればするほど、土地をベースにした選挙システムは形骸化していくことになるという長期的な読みがあります。

そういったときの意思決定システムや投票システムにPICSYや行列計算が使えないか、というのも面白い論点です。

なにはともあれ、島くんのプロジェクトに、どんな形であれ協力してくれる人がいるとうれしいです。人もお金も足りないそうなので、一緒にやりたいという人、寄付金をしてくれる人やしてくれそうなお金もちを紹介してくれる人がいたら、彼にコンタクトをとってください。

ここからは雑談ですが、このエントリーを書いていて、自分の行動パターンが分かってきました。

1.誰かにこんなのがあったらすばらしいと話す

2.賛同してくれる人がぜひやろうと言う

3.一緒にはじめるけど、気がつくと賛同してくれた人が忙しくなる

4.ひとりでがんばる

最近はこのあとに

5.ほかの人の協力者として一緒にやる

というのが増えてきました。よい仲間と仕事をしている証拠です。

実は、インターネットの世界に入ったのも、大学3年のときの三田祭の弁論大会で、大学教育とインターネットについて話し、講評者の岩国哲人をはじめ多くの聴衆から激励を受けたことがきっかけでした。その日から2週間後の1995年12/6に教材開発のプロジェクトを開始することになります。

ぼくのこの分野に関するすべての原点は、1995年の8月にWEBに触れたこと、そして11月の三田祭の弁論大会の2つにあります。

どうも、一度口に出したことは、やらねばならないと思ってしまう悪い癖があるようです。陽明学にひかれるところがあるのも、そんなところなのでしょう。(本来学者的な人間なのですが、それ自体への心理的反抗があるのかもしれません。)